『破戒』近世封建制度の暗部で近代化において最重要課題になつた差別問題を正面切つて取り上げた余りにも高名な作品。そればかりではない。近代日本文学で主席を占める名作中の名作だ。文壇の大潮流となつた自然主義はゾラを彷彿とさせる重厚なる社会小説『破戒』によつて口火を切られた。しかし、藤村自身がその後私小説へと向つた為、『破戒』は藤村の作品中特異な作品になつたと共に、日本文学史においても孤絶した純然たる自然主義小説となつた。『破戒』が主題に据ゑた部落差別は繊細な問題で、微妙な立場に置かれてきたのは詮方ない。第一の問題に主人公瀬川丑松は差別に抵抗したり運動を起こすこともなく、革新的な思想も抱いてゐない。第二に零落した士族の娘への想ひを通はせ、新天地が用意される結末では、差別問題を描いた作品としては生温い後味だ。このやうに問題提起こそしたが、作品には社会変革の一助となるやうな気魄はなく、被差別に喘ぐ人々から批判に晒されることもあつた。しかし、『破戒』には父が課した出生の秘密を隠し通せといふ戒めを破るに至る葛藤と、告白による自我の確立といふ文学作品としての側面がある。破滅が必定の告白は容易なことではない。件の批判は社会思想の思惑から出た非現実的なものであり、主人公の苦悩を軸に掘り下げ、差別問題と融合させた藤村の藝術境にこそ理がある。明治維新後も根強く残る差別の描写は圧巻で読者を打ちのめすだらう。私淑する同族出身の先人に感化されつつも出生の秘密に苦しみ抜く主人公の心理に読者は押し潰されるだらう。名作だ。読むべし。[☆☆☆☆] 『春』藤村の真の出発点と云へる作品である。藤村は浪漫派詩人として一時代を築いた後、『破戒』(1906年)で自然主義を勃興させたが、続く露悪的な花袋の『蒲団』(1907年)と自叙伝小説『春』(1908年)が私小説誕生の舵取り役となつた。以後も藤村の作品は自身を題材にした作品一辺倒になる。岸本捨吉といふ名で藤村二十代前半の青春彷徨を、幾らかの脚色やぼかしがあるが極めて写実主義的に描いてゐる。『春』は藤村の青春時代を描くと共に、創作における春到来を意味する作品なのだ。教へ子との絶望的な恋に自暴自棄になる若き藤村の無軌道振りが哀しくもあり滑稽でもある。だが、『春』の価値は若き藤村の旗頭であつた北村透谷のオマージュにある。透谷の自殺に至る苦悩、藤村に及ぼした影響と思ひ出が克明に描かれてをり、読み応へがある。[☆☆] 『家』藤村は第3番目の長篇で、前作『春』の時代―即ち透谷の死後から、妻冬子の死の直前迄を丹念に描いた。実体験に基づいた叙述は重厚で覚悟がある。一方で藝術的な作為がない故、散漫で効果がない凡庸な箇所も多い。上巻の田舎生活の叙述は重苦しい作品の救ひと評する向きもあるが概ね退屈だ。家長の出奔後の苦難や三人の娘らの相次ぐ死が描かれる下巻は当初「犠牲」の題で発表され、ずしりと暗く読み応へがある。藤村は私小説を昇華させ、近代化が押し寄せる時代、旧態の家長制度が色濃く残る2つの家系―モデルは島崎家と高瀬家―が腐り崩壊して行く主題に集約させた。日本の自然主義小説の到達点と云はれる所以である。藤村自身である三吉は家からの呪縛から逃れたいエゴイズムを押し殺してゐる。閉塞感と死が充満する気が滅入る作品だ。[☆☆] 『新生』藤村最大の問題作であるばかりでなく、日本文学史に残る問題作だ。藤村は妻の死後、手伝ひに来てゐた姪こま子と関係を持ち懐妊させて仕舞つた。隠蔽も兼ねてフランス留学を決意、その間に第一次世界大戦が勃発するなど見聞を大いに広めて帰国するが、こま子との関係を秘密裏に再燃させて仕舞ふ。だが、藤村は思ひ悩んだ末に作品として告白する。だが、藤村は懺悔といふよりは解放を描いてゐるやうにも感じる。本当に『新生』は書かれなくてはいけなかつたのか? 何の為に書いたのか? 文壇も賛否両論となつた。文豪の躓きを読まうとすれば偽善の書とも、悲恋の苦悩と読めば卑劣の書ともなる。ひとつ云へるのは『新生』は善悪で読んではいけないといふことだ。良いも悪いも超えて読むと人生と愛が浮き彫りになる。象徴的に『アベラールとエロイーズ』やルソー『告白』が登場する件は開き直りではなく、救済の光なのだ。第一部発表後の反響を第二部で描き、事件を物ともしない『新生』は私小説の極限であり告白文学の新境地なのだ。[☆☆☆☆] 『伸び支度』初潮を迎へた末娘の心持ちの変化を軽妙に綴つた掌篇。屈託がなく藤村の別種の良さが出た珠玉。[☆☆] 『嵐』男手ひとつで息子三人と娘一人を育てた藤村の奮闘記だ。子供たちの成長や手狭な家の引越し先の物色などが軽快に描かれる。力が抜け切つた中篇で、陰鬱な自然主義小説から脱却してをり、好感が持てる。[☆☆☆] 『分配』『嵐』の続編と云つてよい。叢書の出版で思はぬ大金を得た藤村は子供四人に分け与へることにした。その心意気が小気味好い。[☆☆☆] |