谷崎潤一郎

(明治十九年〜昭和四十年、1886〜1965)


『刺青』

 純然たる谷崎の処女作。賢しらなる近代小説の潮流に反旗を翻し、理知を超えた官能の魔力を描く。肌を傷つけて美を彫り込む刺青師の倒錯的な喜び。魔性の女に捕へられる喜び。唯美主義者谷崎はその出発点から異常な美意識で夢幻的な地平を切り開いて行つたのだ。[☆☆☆]

『文章讀本』

 この讀本が書かれてから70年以上が経つ。多くの方は当時の文章論だと感じるだらうし、如何にも谷崎らしい取捨選択だとお思ひになるだらう。しかし、国語に関心のある方なら大筋で谷崎と同じ見解に帰着するだらう。国語への鋭敏な眼差しは、畢竟国民性へと注がれるからだ。現代の我々は言葉への美意識と愛着をなくして仕舞つた。ひとりでも多くの方がこの讀本を手にして、谷崎の云ふ品格と含蓄とに配慮して文章を綴つて欲しいものである。[☆☆☆]

『猫と庄造と二人のをんな』

 題が多くを物語る作品である。猫が第1等で、人のいい怠け者の庄造が第2等で、嫉妬と駆け引きで悶々とする品子と福子が第3等の格付けなのだ。この作品は愛情といふ思ふやうにならぬものの機微を扱つてゐる。愛は打算で相応に見返りを期待出来るものではない。愛は裏切りを必要以上に誇張する。愛を信じて裏切りに怯える二人のをんなは救はれない。邪険に扱はれやうが溺愛されやうがとんと構はぬ猫の気侭な愛情表現に目を付けた谷崎の慧眼と皮肉。この設定の見事さ、人情溢れる大阪弁の美しさ、谷崎を読むならまずはこの作品だ。猫好きなら尚たまらない。[☆☆☆]

『潤一郎新々訳源氏物語』

 3度に亘る『源氏物語』の現代語訳は谷崎の生涯を掛けた業績であり、『細雪』など自身の創作にも大きな影響を及ぼした。登場人物が破格に多く、複雑に連関し、物語の進行と共に官位も変動する『源氏物語』においては、古文変換の肝要は偏に主語或いは名称の指示語の欠如を如何に補ふかにある。しかし、谷崎訳は敬語表現を重視して安易な補足を避け、原典に忠実で格調高い。『源氏物語』の世界と文章を日本の最高の美とした谷崎畢生の大業。[☆☆☆]


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