スウィフト

(Jonathan Swift、1667〜1745)

 ダブリン生まれ。生時既に父は亡く、母に捨てられ、孤児同然として育つた。外交官ウィリアム・テンプル卿の下働きをしながら修行を積み、推薦状により聖職者となつた。世俗的成功にも野心を抱き、党派も無節操に変へた。だが、『桶物語』がアン女王の不興を買ひ、出世願望は決して果たされることはなかつた。政敵ウォルポールが政権を握ると、政界活動を断念し、故郷ダブリンに隠遁した。アイルランドの悲惨な現状を正視し、匿名による『ドレイピア書簡』でイギリスの搾取と抑圧を批判した。政府は懸賞金付きで作者を捜索したが、密告者は決して出なかつた。畢生の傑作は大評判となつた『ガリヴァー旅行記』だが、その本領は辛辣な政治パンフレットにあり、心底恐れられた。尚、幾つかの詩などを除けば、スウィフトの作品は全て匿名で発表された。晩年、精神に異常を来して死んだ。


『桶物語』 "A TALE OF A TUB"

 スウィフトの出世作となつた野心作。主筋は、ローマ=カトリックの腐敗と宗教改革の錯綜―特に清教徒の狂信振りを、諷刺し寓話化したものであり、相当に気の利いたものだ。しかし、作品の残り半分は冗漫な戯れ言による献辞やら序文やら脱線やらで読者を撹乱させる。スウィフトは作品としての価値を貶める危険を犯しながら、本文よりも長い余談を故意に配置し読者をうんざりさせることで、当時の出版物の悪弊である長大な献辞や序文による虚仮威しを愚弄する。 [☆]

『書物戦争』 "THE BATTLE OF THE BOOKS"

 『桶物語』で展開した出版界への揶揄を延長した作品で、併せて鑑賞したい。近代と古代の文藝作品を比較して優劣を論争するといふ、当時の知識人の間で加熱した党派対立の荒唐無稽さを嘲弄する。後半の『イーリアス』を模した合戦の描写が出色で、古代の詩人らが手向かふ者共に太刀を浴びせ滅多切りにする件は大いに楽しめる。 [☆☆]

『人工神憑の説』 "A DISCOURSE CONCERNING THE MECHANICAL OPERATION OF THE SPIRIT"

 欺瞞に充ちた信仰心を揶揄し、取り分け狂信振りをひけらかす所作への当て擦りが痛烈だ。『桶物語』『書物戦争』と同じ頃に執筆・出版された掌篇で、この初期3作品は不可分の性質を持つが、何れの作品も時代の制約といふ諷刺文学の宿命を背負ふ。[☆]

『ガリヴァー旅行記』 "TRAVELS INTO SEVERAL REMOTE NATIONS OF THE WORLD,IN FOUR PARTS. BY LEMUEL GULLIVER,FIRST A SURGEON,AND THEN A CAPTAIN OF SEVERAL SHIPS"

 小人の国や巨人の国を冒険する子供向けの本と思つてゐる方がゐたら、即刻改めるべし。王立アカデミーを揶揄したラピュータへの冒険から諷刺文学の顔を前面に出してくる。最終章、高潔な理性を持つ馬フウイヌムが、姿こそ人間ながら卑俗な欲望に塗れたヤフーを支配する国を冒険する段に至つて辛辣な作品となる。ガリヴァーはフウイヌムに嘘をつかない生き方の尊さを学んで帰国するが、荒唐無稽な彼の冒険談を誰も信じず、狂人と見なされる。「全篇狂人の戯言でした」といふ常套的な落ちと読むには第4章の主題は深刻過ぎる。社会が是認する必要悪―本音を包み隠した建前―を根絶やしにした理想郷を描くことで、スウィフトは読者に感化を仕掛け、帰国したガリヴァーを迎へた人間たちをヤフーに仕立てる。それは単に人間の本性への絶望的な不信を描いたに止まらない。航海記録の精緻な記述からも窺へるやうに、スウィフトの意図は作品全体をパラドックスに陥れることにある。嘘をつくことを嫌悪したガリヴァーの話は嘘なのか。嘘つきの嘘は嘘か本当か。真実は如何に? [☆☆☆☆]

『アイルランドにおける貧民の子女がその両親ならびに国家にとっての重荷となることを防止し、かつ社会に対して有用ならしめんとする方法についての穏健な提案』 "A MODEST PROPOSAL FOR PREVENTING THE CHILDREN OF POOR PEOPLE IN IRELAND,FROM BEING A BURDEN TO THEIR PARENTS OR COUNTRY,AND FOR MAKING THEM BENEFICIAL TO THE PUBLICK"

 スウィフトの残した文章の中で最も激烈で、読む者を戦慄からしめる論文。これを読んだ夏目漱石は「狂人だ」と評したといふ。18世紀はアイルランドの暗黒時代である。スウィフトは残忍な諧謔でこの論文を書いた訳ではない。常軌を逸した怒りが理路整然とした慇懃無礼な文章の端から沸騰してゐる。アンドレ・マルローはゴヤの「我が子を喰らふサトゥルヌス」を絵画史上最も恐ろしい絵と評した。私はスウィフトの『穏健な提案』を人間が書いた最も恐ろしい文と評そう。あいや! この論文を知らぬ御方よ。読まずにゐるお積もりか。[☆☆☆☆] <<青空文庫で翻訳を読む>>

『奴婢訓』 "DIRECTIONS TO SERVANTS"

 遺稿となつた作品で未完のまま残された数章があるが、スウィフトの意図は十二分に伝はる。召使頭、料理長、従僕らへの処世訓を悪意に充ちたパラドックスと冷笑を込めたアイロニーで説く本書は、隷属への反抗精神を大胆不敵に戯画化した奇想の作品だ。ルサンチマンに基づいて詐欺行為を働く奉公人への蔑視が根底にあるところがスウィフトの恐ろしさだ。給仕などの記述は当時の悪習や不衛生な風俗の博物館のやうで興味は尽きない。[☆☆]


戻る