ソポクレス

(ΣΟΦΟΚΛΗΣ/Sophocles、前496/5〜前406)

 古典古代ギリシアの三大悲劇詩人のひとり。アテナイの郊外コロノス生まれ。前468年、初上演作品をもつてアイスキュロスを下して優勝し、一躍名を轟かせた。その後、財務官、将軍職などを歴任し、アテナイの重要人物として活躍した。劇理論を探求し、第三人目の俳優の導入、コロスの数と構成を増やすなど改革に余念がなかつた。また、三部作には拘泥しなかつたやうだ。生涯123の劇を創り、大ディオニュシア祭で24回勝利を得、驚くことに一度も2等より下位になつたことはないといふ。断片は多数伝へられるが、完全な形で残るのは7作品のみである。ソポクレスが作品を通じて表したのは、運命といふ神に対峙する人間の存在である。


『アイアス』 "ΑΙΑΣ/AIAS"

 トロイエ攻略の前半においては最大の活躍を誇つた大アイアスの悲運な末路。パラス・アテナが後楯となつたオデュッセウスに競り破れ、憤慨し、破滅を招く。過去の実績や栄光を誇らず、神意―現代においては不条理―に抗ふことなかれといふ教訓。しかし、己の力で全てを決断しようとするアイアスの姿には、近代的な自我が見てとれ、傲慢とか不遜とかで片付けてしまふのは惜しい。劇後半、俗物兄弟アガメムノンとメネラオスの非道さには呆れるばかり。[☆☆☆]

『トラキニアイ―トラキスの女たち』 "ΤΡΑΧΙΝΙΑΙ/TRACHINIAI"

 デイアネイラは嫉妬に狂ふやうな思慮を欠いた女性ではない。しかし、愛の妙薬に頼つてしまふといふ、避け難い運命によつて破滅に追いやられる。幸福な未来を選択することは難しく、「今日といふ日を無事に過ごすまでは、明日などといふ日はない」とは至言。残念なことに後半は、夫のヘラクレスが運命を呪ふといふ運びとなり、主題の纏まりに欠ける。[☆☆]

『アンティゴネ』 "ΑΝΤΙΓΟΝΗ/ANTIGONE"

 この作品の主題は明快で、神の掟と人の掟の相克である。現代的に咀嚼すれば、人が人を律し裁くこと―言ひ換へれば正義―は善きことなのか、悪しきことなのか。人の掟を主張するクレオンの論旨は天晴だが、神の掟を蔑ろにしたことにより天罰が下る。人が神のやうな権限を行使しようとする不敬を、この作品は戒めてゐる。クレオンに対峙するアンティゴネが感情的で説得力に欠けるのが難。[☆☆☆]

『エレクトラ』 "ΗΛΕΚΤΡΑ/ELEKTRA"

 三大悲劇詩人が競つて残した題材で、正義のない復讐劇にして呪はれたアトレウス家の血で血を洗ふ悲劇の連鎖。ソポクレスは「母殺しの心理」といふ主題を敢て中心に置いてゐない。ここでは、母の言ひ分に反駁し、妹の諫言にも耳を貸さず、頼みの綱であつた弟の死といふ偽りの情報にも屈しない、気高い女性像を描くことに徹してゐる。峻厳な作品だが含みは少ない。[☆☆]

『オイディプス王』 "ΟΙΔΙΠΟΥΣ ΤΥΡΑΝΝΟΣ/OIDIPUS TYRANNOS"

 ギリシア悲劇の最高傑作。アリストテレスはその著書『詩学』の中で、『オイディプス王』をギリシア悲劇の代表作と目し、劇作の規範としてゐる。後世アリストテレスの権威を借りて、三一致の法則が成立したわけだが、この法則を遵守するといふことは、如何に『オイディプス王』に迫るかといふことに他ならない。時の一致―月日の隔たりがあつては緊張感が削がれるから、劇中の時間を1日に集約させるべきといふ法則。『オイディプス王』においては、劇と鑑賞者の時間は同じだ。オイディプスの前に次々と報告者である登場人物が訪れ、オイディプスの前半生の行状から出生の秘密までが語られるといふ手法により、現在が過去の時間を遡り内包してゐる。場所の一致―移動をしない鑑賞者と視点が同じといふことは、劇に真実味を与へるから、劇中の場所は同一のままであるべきといふ法則。『オイディプス王』においては、コロスが陣取る宮殿の前庭が唯一の舞台である。登場人物の入れ替はりが変化の全てであり、ロゴスによつてのみ劇が展開する。筋の一致―中心となる筋と関はりのない話題は劇の集中力を削ぐから、伏線は筋に絡ませて張るべきといふ法則。『オイディプス王』においては、出生の秘密が明らかにされていくといふ筋に全てが集約され、スフィンクスの謎解きなどは詳しく触れられてゐない。盲の預言者を前半に登場させる配置も見事な伏線だ。余りにも有名なオイディプスの物語を、凄惨極まりないエクソダスへ凝縮した劇的緊張感は唯事ではない。主題も普遍性を持つ。知らない方が幸せとわかつてゐるのに、どうしても調べてしまふといふ人間の性。知者は愚者といふパラドクス。[☆☆☆☆☆]

『ピロクテテス』 "ΦΙΛΟΚΤΗΤΕΣ/PHILOKTETES"

 重い主題を抱へた作品であり、辻褄合はせの結末も容認できる。屈辱に塗れ憤懣やるかたないピロクテテスは、頑迷に説得を固辞する。知謀豊かな策士オデュッセウスも使命遂行の為、冷血な態度を変へない。だから、この悲劇の要は、次第にピロクテテスの境遇に同情を寄せ、神意とギリシア勢に背く決心をするネオプトレモスの心の揺れになる。正義とは何処にあるのだらうか。ネオプトレモスを弱い人間とみるか、強い人間とみるかは読者次第。[☆☆☆☆]

『コロノスのオイディプス』 "ΟΙΔΙΠΟΥΣ ΕΠΙ ΚΟΛΩΝΩΙ/OIDIPUS EPI KOLONOI"

 ソポクレスの遺作で歿後上演された。『オイディプス王』の後日譚である。避け難い神意によつて破滅したオイディプスは、流浪の果てにアテナイ近郊のコロノスにて大往生を遂げる。絶望と恥辱の余命を耐へたオイディプスは畏怖すべき存在だ。一方、死を間近に控へながらも、クレオンや息子たちに呪詛を浴びせたオイディプスは矮小な存在だ。世界に救済はなく、不条理が神の摂理であるならば、人間は如何に生きるべきなのか。[☆☆☆]


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