司馬遷

(前145?か135?〜 前86?)

 姓は司馬、名は遷、字は子長。周代の記録係である司馬氏の子孫で、太史令の父司馬談より、中国最初の通史『史記』の執筆を託された。このことは『史記』の巻末に置かれた「太史公自序」に詳しい。 前98年、匈奴に投降した李陵を弁護したため武帝の怒りに触れ、宮刑(性器を切り落とす刑)に処せられた。宦官となつた屈辱に堪へながら中書令として武帝に仕へ、残りの生涯を『史記』の完成に捧げた。司馬遷の叙述形式を紀伝体といつて、以後、中国の正史はこの形式を踏襲した。


『史記本紀』

 伝説的な黄帝や、君子として名高い堯・舜・禹から始まり、武帝の治世までの帝王伝。取り分け、始皇・項羽・高祖の三篇が列伝を凌ぐ光彩を放つ。近寄り難い始皇帝の凄み、己を過信し人心を失つて行く項羽の悲哀、やくざもので直情的な劉邦の人望を集める不思議な魅力。正統な系譜から外れる項羽が本紀に組み入れられた理由は、鴻門の会における切迫した駆け引きと、四面楚歌における名詩の結句「虞兮虞兮奈若何」を読めばわかるだらう。万感胸に迫る名場面。[☆☆☆]

『史記世家』

 周が敷いた封建制で派生した諸候は、周王室が衰へると各地で勢力を伸ばし、覇を唱へるやうになつた。伍子胥の諫言を聴かずに奢つた呉王闔廬と夫差は嘗肝して機会を待つた越王勾践に伐たれた。自らの命を狙つた管仲を宰相とし覇を唱へた斉の桓公だが、後継の禍で屍を放置された。国外に放浪すること十九年で入国を果たし、多くの名臣によつて覇者となつた晋の文公。その殆どが秦の始皇帝に滅ぼされるが、系譜を顕しながら各国の興亡を叙述したのが世家で、歴史の傍流を書き漏らさない司馬遷の面目躍如。[☆☆☆]

『史記列伝』

 『史記』の中核にして、古来より人々を魅了してやまない春秋時代から武帝時代までの群像。忠義を貫き葬られた伍子胥、自らの法に捕はれた商鞅、諸国を撹乱した蘇秦と張儀、始皇帝出生の秘密を握る呂不韋、始皇帝崩御で道を誤つた李斯、共に天下を取つた高祖に末は討たれた黥布と韓信。その一代記は小説よりも奇なり。君においては讒言に惑はされず、臣においては時の利を見極めるといふ処世訓が全篇を通じて語られる。史書として侮るなかれ、これ第一級の文学作品にして、深い人生考察の書なり。[☆☆☆☆]


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