シラー

(Johann Christoph Friedrich von Schiller、1759〜1805)


『群盗』 "DIE RÄUBER"

 暗い情熱が噴流のやうに溢れる異常な作品で、悪党フランツを上回る策謀家シュピーゲルベルヒの極悪人振りが特にもの凄い。ゲーテがヴェルテルを憎んだやうに、シラーもまたこの処女作を蔑んだ。確かに人物が皆劇的過ぎるかもしれないが、反骨と絶望を描くのに綺麗事は不要だ。周囲の者全てを奸計に陥れるフランツは、生命の神秘を否定する懐疑主義で反抗的な色彩を添へるが、無神論は死の恐怖に打ち勝ち得ないことを喝破する牧師との対決に敗れ、己の過ちに気付く。他方、教父が説く偽りに満ちた善の形骸に対し、カールは正義と復讐といふ名のもとに「仇に報ずる仇」を旨とする悪の美学で勝ちどきをあげるが、終幕で、償ひといふ幻想が醜いことを悟つて世界の不条理にただひとり落し前をつける。偽善を排し、悪で道理を付けた義侠心は男らしい。「世界を暴虐の行ひによつて洗ひ清め、法律を無法によつて正そう」とした義賊カールに残された道もまた悲劇の道のみ。[☆☆☆☆]

『たくらみと恋』 "KABALE UND LIEBE"

 身分違ひの求愛が元で蹂躙される乙女の運命を、レッシングの市民悲劇の体裁を継承しつつ、疾風怒濤期のシラーに特有の尋常ならざる劇的感情を爆発させた名作。登場人物全員が生彩を放つのは流石だ。企みにより破滅しか残されてゐない恋人らの悲劇であるが、邪な横恋慕をするヴルムの暗躍よりも、真摯な恋愛であれば結ばれると信じたヴァルターの浅慮こそが、ミラー一家の運命を狂はせたばかりでなく、ルイーゼの命を奪ふことになつたことを看過してはならない。健気な乙女の分を弁へた慮りが、周囲の奸計で穢される様は儚くも悲しい。シラーが当初考へてゐた『ルイーゼ=ミラー』といふ題も捨て難い。[☆☆☆]

『スペインの王子ドン=カルロス』 "DON CARLOS,INFANT VON SPANIEN"

 日の沈まぬ国を現出させたフェリペ2世治下、取巻き連蔓延る宮廷の陰謀と、狂信的な宗教裁判が猛威を振るふ中、ネーデルラント離反といふスペイン没落の導火線を絡めた壮絶なる宮廷悲劇。複雑な人間関係が接近と背離を繰り返し、猜疑へと落とし込む緊張感が唯事ではない。ポーサが八面六臂の策動をする第4幕では読者までもが敵味方を見誤りかねないほど緊迫する。父に挫かれたカルロスの恋情が、貴い友誼を通して、専政と統制に対峙する気高い自由主義思想へと昇華する史劇の傑作。[☆☆☆]

『ヴァレンシュタイン』 "WALLENSTEIN"

 三十年戦争で一時は国家権力を左右した男が、時勢を失つたことに気付かず転落する悲劇。ヴァレンシュタインの運命は、奸臣らの暗躍と陰謀により己だけでは決定できない。この辺りは給金を払へる主人に乗り換えて裏切りを恥としない傭兵の知識がないと理解が難しいかもしれない。複雑に絡み合つた思惑が交錯し、敵味方が入れ替はる緊迫した展開は天才の筆。しかもこれを韻文で作劇したのだから恐れ入る。マクスといふ純真な清涼剤を創作したこともシラー天賦の直感。大著『三十年戦争史』の成果と古典劇に範を倣ふ三部作の揺るぎない構築でドイツ古典主義の頂を成した畢生の名作。[☆☆☆]

『オルレアンの処女』 "DIE JUNGFRAU VON ORLEANS"

 ジャンヌ・ダルクに題を採りこれほど格調高い光彩を放つた作品はない。救国の為に遣はされた乙女が魔女の嫌疑を掛けられる劇的な史実をなぞりながらも、世俗的な愛を絡めながらジャンヌの内面の動揺を描き、単なる史劇として纏めず近代的な性格劇として昇華させた傑作で、シラーの作品中最も自由な霊感が飛翔し、幕切れ迄息吐かせぬ展開を約束する。「迷を御送りなさつた御方が迷を解いて下さいます」と云ふ台詞に込められた帰依と躓きへの苦悩が、読者を気高い想念へと誘ふだらう。[☆☆☆]

『メッシーナの花嫁』 "DIE BRAUT VON MESSINA"

 これほどギリシア悲劇を意識して作劇された作品は類例なく、ラシーヌもここまでは至らなかつた。古典主義時代のシラーの偉業であり、事実作品の出来に満足してゐたやうだ。合唱隊―ギリシア劇におけるコロス―を配し美麗な詩句と寸鉄人を殺す警句が格調高い。性格劇を捨て運命劇に徹し、呪はれた預言が人為によつて実現されて仕舞ふといふ題材は『オイディプス王』を想起させる。反面、形式が勝ち過ぎ、シラー特有の暗い情念が抑制されて仕舞つたのも事実。[☆☆]


戻る