世界文学渉猟

井原 西鶴

(平山 藤五、寛永十九年〜元禄六年、1642〜1693)


『好色一代男』

 革命的なムーヴメントを起こした記念碑的作品で、浮世草子といふ潮流を一作で築き、書籍が商品となり文化となることを本邦において示した金字塔だ。西鶴にとつても真に独創的な作品であつて、続編の諸作や説話集とは気概が違ふ。性の遍歴を綴つた猥褻な下手物と侮るなかれ、全体の構成が全54段なのは『源氏物語』を、同じく色好みの先達として『伊勢物語』を随所にパロディーとするなど、古典的素養に裏打ちされてをり、単なる享楽的な好色本とは一線を画す。また、風俗の写実的な叙述や個人感情の表出は、それまでの平板な仮名草子を霧散させ、本邦の近代文学の起点になつたとも云へよう。世之介の色好みは止まるところを知らず、男色を含めて情愛の探求には終着点はなく有為転変の理を示す。特に後半における遊郭と粋人の描写は読者垂涎だつたであらう。[☆☆☆]


『好色五人女』

 自由恋愛の認められない時代に愛欲に惹き付けられ、当時の道徳観念を踏み越えて仕舞つた5人の女の物語。末は悲劇的な結末となることが殆どだが、叶はぬ悲恋物語といふ側面は微小で、情欲に流される様を好奇をもつて描いたりと笑談風の語り口が基調となつてゐる。貞淑な女も運命の掛け違ひで好色に溺れるといふ人間の性を明け透けに描いた西鶴の痛快な傑作。[☆☆]


『本朝二十不孝』

 親不孝の因果により破滅する二十の教訓。札付きの悪党もゐれば、親の進言を聞かなかつたばかりに取り返しのつかぬ事態を招く噺もあり、単なる信賞必罰物として片付けたくはない。道楽息子や身持ちの悪い娘らの行く末を反面教師として孝行を推奨する意図とは裏腹に、邪なエゴイズムや親を親とも思はぬ極悪非道振りの生彩ある描写が読者を釘付けにすることだらう。[☆☆]


『日本永代蔵』

 六巻三十篇からなる町人物の雑談集。それぞれの小咄には分限或いは長者になる為の教訓や、成功談や失敗談を簡潔に纏めた物語や、当時の経済情勢や商人気質などが脈絡無く描き込まれてをり、雑多な印象を受ける。特に、現代の読者としては、富を勝ち得た者の話や散財し落ちぶれた者の話が散漫に盛り込まれるのには興醒めする。しかし、江戸時代前期の商人たちの諸相が生き生きと描かれてをり、現代まで息づく商魂をも感じさせる。町人物には西鶴の真骨頂がある。[☆☆]


『武家義理物語』

 西鶴の作品群の中で武家物に属する説話集で、全6巻に22話―連作があるので実際は21話―が収められてゐる。様々な時代における武士の一分を廻る諸相が描かれるが、義理人情は千差万別、天晴な心意気で末代の栄誉となるやうな義理を貫いた話もあるかと思ふと、一時の激情に委ねて本分を見失ひ醜態を晒す話まで様々だ。武士において義理を通すとは命を賭すことに他ならぬが、その軽重において明暗が分かれる面白みがある。[☆☆]


『嵐無常物語』

 当時一世を風靡した立役者嵐三郎四郎の追善作。上下巻より成り、上巻は嵐三郎四郎の生涯を物語り、下巻は死して尚追慕される嵐三郎四郎の威光を瀟酒に描く。美貌と存在感で知らぬ間に多くの男女の魂を奪ひ取る立役は、人情の縺れに翻弄されることに倦み、世を去ることで義理を通す。その死に様は天晴だ。儚い役者の悲劇的な人生を慈しむ西鶴の筆が冴えた名作。[☆☆]


『新可笑記』

 『武家義理物語』に引き続き執筆された武家説話集。全5巻に26話が収録されてゐる。前作とは些か様相が異なり、敵討ちなどの義理物語を描く明確な主題はなく、武家に纏る諸相を雑然と集めた感がある。元禄時代になり質実剛健たる武士道が廃れ、乱れた風紀を嘆く『可笑記』なる本に着想を得た作品で、町人階級が武士階級のゴシップを笑ひ倒した痛烈な作品集だ。清濁併せ飲む西鶴の筆が跋扈してをり大いに楽しめる。犯人探しの推理なども含まれてをり、『本朝桜陰比事』を準備する傑作。[☆☆]


『本朝桜陰比事』

 『板倉政要』なる資料が伝はるほど、名判官と謳はれた京都所司代、二代板倉伊賀守勝重とその子三代周防守重宗をモデルにした御前の名裁きの数々で、全5巻に44話が収められてゐる。よくも考へたる悪事の数々、だがその殆どが良心に付込んだ詐欺である。それ以上に多いのが、欲望や見栄で抜き差しならぬ羽目になつた人間関係の縺れである。これら悪事に対しては厳罰をもつて臨み、訴訟に対しては後に怨恨を残さないお裁きが天晴だ。だがこの作品の本当の面白さは真偽を突き止めるために発揮される名推理にあり、犯罪者との智慧比べは尽きない魅力がある。[☆☆☆]


『世間胸算用』

 西鶴最後の刊行本で五巻二十篇から成る町人物の雑談集。近世では掛売り掛買ひが商業の基盤として確立されてゐた。その支払ひと取り立ての総決算が大晦日であり、越えて仕舞へば暫く先送りとされる。正月を晴れやかに迎へられるかだうかが掛かつてゐたのだ。これは新年正月の意味合ひが現代とは異なり、年を越すことの目出度さ有り難さがどれだけ重要であつたかを物語る。先行した町人物『日本永代蔵』では成功の秘訣や心得を語り教訓的な要素が強かつたが、『胸算用』は真逆に大晦日に繰り広げられる困窮する者たちの攻防戦を悲喜交々描き、人間の暗部や愚昧さを暴き出す。如何にして取り立てから逃げ切るか、観念させて支払ひをさせるか、可笑しくも哀しい駆け引きがあり、人情の奥行きが深い名作。[☆☆☆]


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