世界文学渉猟

幸田 露伴

(幸田 成行、慶応三年〜昭和二十二年、1867〜1947)


『風流仏』

 全国行脚中の仏師の悲恋物語。木曽路で出会つた幸薄き花漬売お辰の境遇に憐憫し手を差し伸べた珠運。周囲の思惑もあり婚儀に同意するが、運命が急転、お辰が実父の登場で引き裂かれる。断てぬ想ひが彫つたる裸像の風流仏。遂には木像に生命が吹き込まれて幻想的な狂気に絡め取られる。姿だけでなく心まで写し取つたか、現か幻か。露伴の名を一躍高めた最初期の名作。[☆☆☆]


『日ぐらし物語』

 上野で開催された内国勧業博覧会の向かふを張つて日暮里が叫雲老人宅にて小説博聞会を開き7名の日ぐらし党員―日暮里に洒落てゐる―が作品の品評を行ふ。何れも大したことはないが、評決通り超俗的な繍蓮女史の「風前虹」のみが上出来だ。[☆]


『一口剣』

 江戸での修行中に恋仲になつた女房と駆け落ちの末、田舎で怠惰な酒呑みに身を崩した刀鍛冶。馴れ合ふ男女の自堕落な物語から一転、空威張りの放言から殿様より名刀作製を仰せつかり狼狽の極み。一枚上手の女房は天晴前金を持ち逃げし万事休す。腹を括つた正藏三年籠つて一振りの名刀を仕上げる。別人のやうな最後の口上に理想主義と謳はれた露伴の妙味が凝縮した傑作。[☆☆☆]


『辻浄瑠璃』『寝耳鉄砲』

 二篇で1作を為す連作。京で名代の釜師西村屋が跡取り虎吉は生来の我侭不真面目で蕩尽の果てに家を潰して仕舞ふ。苦労をかけた妻の死や残された実母と娘の辛酸も顧みず、遥か江戸まで遁走し乞食になるも、伊達にのめり込んだ浄瑠璃の杵柄で運が開ける『辻浄瑠璃』。黒船来航の混乱期に大砲鋳造で大尽になつた後の駆け引きに充ちた艶聞『寝耳鉄砲』。才気によつて浮き沈みを味はつた男の綺譚で面白く読めるが、露伴には珍しく写実的で世俗的な作風の為、格調高さを欠く。[☆☆]


『五重塔』

 露伴畢生の珠玉で、気ッ風のいい文体は日本文学が理想としなくてはならぬもの。この物語を単に、藝術といふ魔物に取り憑かれた「のっそり十兵衛」の尋常ならざる英雄譚とは片付けられまい。この不気味な反逆者に、任侠心をもつて応へるが仇で返される源太の自尊心の葛藤こそ陰の主題である。エゴイズムの焦土戦。[☆☆☆]


『天うつ浪』

 新聞連載小説で、現代群像劇かつ長篇作品といふ点で露伴にとつては異色作である。畑違ひの感否めず、開花することなく序盤で抛擲された未完の作品であり、『浮雲』『青年』『三四郎』ら青春文学の傑作と並ぶことはなかつた。だが、『天うつ浪』が迷走した失敗作かと云ふとさうではない。題名にも秘められたやうに露伴はこの小説に萬葉的世界を盛り込む積もりであり、同時代の教養小説とはそもそも機軸を異としたのだ。主人公水野の実り難い恋の行方を軸に、固い絆で結ばれた友人らの熱い友情の物語かと思ひきや、途中から訳ありの美女、お龍とお彤の物語が比重を増す。そしてこれが読ませる。益荒男振りと手弱女振りの交錯と陰影が奥深い。やがて水野の運命と繋がる予感を覗かせた矢先にふつりと筆は止まつた。残念至極。[☆☆☆]


『運命』

 露伴の最高傑作とも目される『運命』は靖難の変に題材を得た歴史小説だ。運命の数奇なることから書き起こし、剛健な文体で正史を再現するかのやうな緻密かつ壮大な絵巻が展開する。内戦の展開はもとより、建文帝の側近黄子澄と斉泰、燕王朱棣を支へる道衍らの描写にまで至り、その博覧強記には圧倒される。敗北した建文帝は宮殿と共に炎に包まれたとされるが、生き延びたとする伝承も根強い。露伴はこの虚構を採用し、僧侶となり余生を気侭に送つた姿を描き、戦に明け暮れ波乱の生涯を送つた勝者永楽帝との対比を鮮明にする。[☆☆☆]


『観画談』

 人智の及ばない山奥で生きた心地もしない災難に遭ひ、ふと人生訓の啓示を受けるといふ道話めいた作品。中国山水画に桃源郷を観る件の語り口が見事で、間然するところがない。[☆☆]


『暴風裏花』

 李自成の乱と明滅亡に題材を得た歴史小説だが、軽妙で飄然とした文体で力の抜けた良さがある。露伴がこの作品を書いた時代では、李自成は残忍非道の憎むべき国賊として認知されてゐたので、過剰な逸話が目立ち錯誤を感じる。『暴風裏花』の主眼は二人の佳人による賊への抵抗である。特に李自成の肝胆を寒からしめた費宮人の非業の最期は天晴と云へよう。[☆☆☆]


『骨董』

 骨董の語源から始まる蘊蓄に味はひがあり、幻の逸品を廻る綺譚への手引きが鮮やか。骨董蒐集に翻弄される人間模様の面白さは真に尽きることがない。[☆☆]


『魔法修行者』

 本邦に伝はる魔術・奇術の蘊蓄から、飯綱の法を修めた九条植通の驚くべき境地まで。端然とした文は博学を嫌味にしない。[☆]


『プラクリチ』

 「恋愛は破壊をつかさどるものである」といふ書き出しで読者をぐいと引き摺り込む。経典の自在な注釈から、仏陀と弟子及びヴァルナ制を交へた博学を開陳し、賤民出のプラクリチが仏弟子に投げかけた破壊の波を興じる露伴の心眼。[☆☆]


『幻談』

 露伴が晩年に到達した小説とも随筆とも判別のつかぬ独自の作風を如実に示す。筋だけ書けば幻視体験のやうな怪談になるところに、蘊蓄と醒めた主観を挿む。だから、教訓的な主題も消し飛ぶ。読者は銘々に解釈し、唯名文に酔へばよい。[☆☆]


『連環記』

 露伴生涯最後の小説である。とは云へ、露伴晩年の作風は虚構の力を借りた小説とは一線を画し、蘊奥を開陳し読者を感服させる語り聞かせのやうで一種特別な境地にある。『連環記』は慶滋保胤の入道の物語から大江定基の発心と宋へ渡る物語へと流れるやうに移る。定基が出家する因となつた愛欲の物語の語り口は白眉で、赤染右衛門を絡めての創作も真この通りであつたかと思ふほどだ。軽妙洒脱と質実剛健を併せ持ち、言語の大海を悠遠と歩む名文家露伴の巧みには何人たりとも及ばない。[☆☆☆]


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