『舞姫』日本近代小説の黎明期に産み落とされた文豪鷗外の『ヴェルテル』。結びにおける鷗外の卑劣を詰るだけで、教科書で読んだ限り敬遠してゐる方は再読してみるのも一興だらう。官僚主義への反逆を内に秘めた鷗外は、舞姫エリスと巡り合ひ、愛と思想の自由に目覚める。それより始まる転落もやがてエリスを裏切る件も鷗外の優柔不断が因となつてをり、個と社会の狭間で孤疑逡巡しながら流されて生きる姿には、方便を付けて渡世することへの苦悩と葛藤がある。皮相な懺悔の背後に隠された深い闇。[☆☆☆] 『鶏』着任先の小倉での生活を題材にした作品で、維新前と変はらぬ生活を営む住民らと孤高の知識人との間に厳然として横たはる溝を簡潔な文章で綴る。無理解を嘆く悲観などは一切なく、永遠の断絶を密かに楽しむかのやうで、何時しか滑稽さへと変容して作品に色を添へてゐる。高踏派と称された鷗外の素顔を嫌味に思ふ読者もゐるだらうが、孤独を選んだ気概ある男の武士道精神が凛と輝く珠玉の名品。[☆☆] 『山椒大夫』数奇な運命を辿つた厨子王の半生は、世界の不条理に虐げられ暗澹としてをり、感傷的な結末も一概に幸福な様相を呈さない。世界の不条理に反抗するには、安寿のやうな自己犠牲が必要だとすれば、生にはどのやうな意味があるのか。忍耐と恭順が選ぶべき道なら生に果たして価値はあるのか。善悪を超えた運命の苛烈さを斟酌なしに描くといふ鷗外の意図は、表題に人買ひの山椒大夫を選んだところに窺へる。[☆☆☆] 『高瀬舟』掌編でありながら、知足と安楽死といふ難題を投げかける名作。人間の限りない欲望を滅却出来れば、人生は幸福なものになるや否や。足るを知るといふ生き方は現代社会においても決して不可能なものではない。それは物質文明への反旗であるが、精神の修養でもある。鷗外は問題を提起し、結論は差し措く。安楽死は医師である鷗外ならではの問題提起である。生命の尊厳と死の価値。読者はそれぞれの立場で読み方を異にするだらう。その他、貧困、自殺、冤罪など多くの問題を抱へる問題作である。晩年の鷗外が辿り着いた簡潔な名文と、最後にフランス語を用ひた異化効果。『高瀬舟縁起』と併せ読みたい。[☆☆☆☆] 『寒山拾得』謎に覆はれた寒山拾得の伝説を鷗外は敢て解釈しない。寒山と拾得の実像を考へるのは読者に課せられる。判然としない聖と俗との境界は思ひ込みや迷妄で成り立つてゐる。価値観と云ふ恐ろしき深淵に読者を連れ込むのが鷗外の目論見である。『寒山拾得縁起』と併せ読みたい。[☆☆] |