世界文学渉猟

メリメ

(Prosper Mérimée、1803〜1870)


"MATEO FALCONE"

『マテオ・ファルコーネ』

 最初期の傑作掌篇。裏切りを最大の恥辱とするコルシカ人気質を思ひ知らせるやうな気ッ風の良い会心の作だ。全く無駄がない語り口の巧さは驚異的で、文学史上最高峰と云つて差し支へない。恐るべしメリメの才能。[☆☆☆]


"VISION DE CHARLES Ⅺ"

『カール11世の幻想』

 スウェーデン王カール11世が暗殺された子孫グスタフ3世とその首謀者処刑の場の幻を家臣とともに見て、後代に記録を残したといふホフマン風の幻想小説。[☆☆]


"L'ENLÈVEMENT DE LA REDOUTE"

『保塁奪取』

 戦場における生死の境を見事に描いた作品で、トルストイの名作を先駆する傑作だ。[☆☆]


"TAMANGO"

『タマンゴ』

 曲者ルドゥ船長の奸計に陥つた黒人奴隷売人タマンゴは自らが奴隷として船に放り込まれる。不屈の男タマンゴは自分を恨む奴隷たちを味方に付け、大西洋上で反乱を起こす。大虐殺と難破、仲間割れと破滅。息つかせぬ波瀾万丈の展開を一気呵成に語り尽くすメリメの筆力に脱帽だ。[☆☆☆]


"LA PERLE DE TOLÈDE"

『トレドの真珠』

 異国情緒溢れた恐ろしく短い掌篇。詩で編んだ方がよかつたらう。散文では物足りない。[☆☆]


"LA VASE ÉTRUSQUE"

『エトルリアの壺』

 慇懃で他人に心を割らない男は友情の恩恵を受けなかつたが、実はある伯爵夫人とは深い関係だ。しかし、噂に惑はされ、前の愛人から贈られたといふエトルリアの壺を大事にする夫人への嫉妬に苛まれる。実を結ばない疑念の愚かさと嫉妬の不毛さを解剖学的に描いた心理小説の名作だ。メリメの実体験を元に創作されてゐる点も興味深い。[☆☆]


"LES ÂMES DU PURGATOIRE"

『煉獄の魂』

 かの有名なドン・ファン・テノーリオと混同されるドン・ファン・デ・マラーニャなる人物がゐたとの書き出しで、もうひとつのドン・ファン伝説を創出する。悪友との出会ひで放蕩三昧の挙げ句殺人を犯した後も大罪の限りを尽くすが、奇怪な幻影が悔悛への転機となり、後半生を懺悔に費やしたといふ筋書きだ。メリメにしては抹香臭いのと、主人公の性格の弱さもあり散漫の気を感じる。[☆☆]


"LA VÉNUS D'ILLE"

『イールのヴィーナス』

 メリメの自信作であり、最高傑作であることは衆目の一致するところだらう。南仏イールで素人考古学者が発掘したローマ時代のヴィーナス像を廻る綺譚。数々の伏線を張り巡らし、ヴィーナスが嫉妬深い復讐神であることを匂はせる手腕は冴え切つてをり、ヴィーナスとの軽率な婚約成立と呪縛に集約されて行く一分の隙もない構成には感服する。異教的なヴィーナス像の描写や曰くありげな属性の付与はキリスト教世界観や近代的合理主義への反逆を演出し、読者を誘惑する。全てにおいて完璧な作品と云へよう。冒頭のルキアノスの一節、簡潔な後日譚も気が利いてゐる。[☆☆☆]


"ARSÈNE GUILLOT"

『アルセーヌ・ギヨ』

 自殺未遂を起こした貧しい女の救命を行ふ夫人は、その原因となつた男の正体を知る。その男は夫人に想ひを寄せる放蕩者であつた。男は夫人の為に改心の努力をするが、女の最期を看取つてやりたい。夫人は女と男との両方に改心を求めるが、男の恋慕に気付き心中穏やかでない。そして、瀕死の女がそんなふたりの関係に気付いたら―こんな地獄絵図を創出したメリメの恐ろしさ。結末でふたりの関係を仄めかすのも何とも意地が悪い。男はメリメ自身の投影だといふから、敬虔な信仰を強要した夫人の立場は宗教を隠れ蓑にしたとも取れる。真相を闇に閉ざしたまま、恋愛のグレーゾーンを炙り出した問題作だ。[☆☆☆]


"L'ABBÉ AUBAIN"

『オーバン神父』

 書簡体による恋愛心理小説。若い神父がコケティッシュな貴婦人の虜になつて行く様を段階的に描く鮮やかな手法にメリメの天分を感じる。最後に置かれた逆説的な神父の手紙を意地悪く読むかは読者次第。これまた心憎い。[☆☆☆]


"CARMEN"

『カルメン』

 メリメの代表作だが、寧ろビゼーが作曲した歌劇の原作として名が知られる。奔放なカルメン像以外は歌劇と異なる点が多く、独自の魅力を備へてゐる。メリメの眼差しはロマ民族―ジプシーの生態を学究的に描いた点にある。また、カルメンに魅せられ運命を狂はすドン・ホセだが、義侠心厚い男気のある性格として描かれをり好ましい。そして、これらの刺激的な材料を研究者然として冷徹な筆致で料理したメリメの大悠さが天晴だ。[☆☆☆]


"LOKIS"

『ロキス』

 熊に襲はれ狂女と化した母から生まれたといふ忌まはしい出生の秘密を持つ伯爵の綺譚。語り部はリトアニアの地方語ジムウド語の研究者であり、近代ヨーロッパから見て文明から残された絶滅寸前の秘境、迷信と結びついた民俗色豊かな舞台設定が絶妙だ―森で遭遇する魔女は強烈な印象を残す。熊が孕ませた子といふ疑惑を周到な伏線で演出し、猟奇的な結末まで怪奇小説の典型を見事な筆力で読ませる。[☆☆☆]


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