菊池寛

(明治二十一年〜昭和二十三年、1888〜1948)

 本名も菊池寛だが「かん」ではなく「ひろし」と読む。


『屋上の狂人』

 狂人の長男を持つ家族の諸相が描かれる。恥を苦悩する父親、怪しい祈祷の不効能を描いたりと問題提起も辛辣。兄の狂気に一般とは異なる見解を持つ弟の「苦しむために正気になる位馬鹿なことはありません」がこの劇の核心。[☆☆]

『奇蹟』

 大寺の若僧たちの腐敗堕落した有様を描く。罰当たりな所業が繰り広げられるが、僅かばかりの閻魔への恐怖心が伝染する。愚昧、迷信を嘲笑するやうな『奇蹟』といふ題は意地が悪い。[☆]

『父帰る』

 代表作。放蕩息子ならぬ放蕩親父の帰還を描く。妻と子供を捨てた父が落魄れて二十年振りに帰宅するが、家を支へてきた長男だけが頑として赦さない。血縁や父権の崩壊を描く近代劇。急展開する最後の場面は観る者によつて印象が異なるだらう。[☆☆☆]

『恩を返す話』

 日頃敵対心すら抱いてゐた気の置けない男に合戦で命を救はれ恩を苦痛に感じる主人公。いつか立場を公平、逆転させようと機会を狙ふが、相手の不幸はやつて来ない。遂に訪れた機会も望んだ報恩とはならなかつた。詰まらぬ貸し借りの感情が一方的で卑俗であることを描く。[☆☆]

『忠直卿行状記』

 矜持が強く癇癪持ちな忠直卿の下には太鼓持ちばかりが揃ふやうになつた。ふとしたことから全てが阿諛追従ではないかと疑心暗鬼になる。真実を確かめようにも周囲を追ひ詰めるだけの負の連鎖が始まる。乱行、配流と史実をなぞるが、菊池は後年の忠直卿が身分の別がなくなり幸福であつたことを加筆した。[☆☆☆]

『恩讐の彼方に』

 耶馬溪伝説に基づく脚色。青の洞門開鑿は了海の贖罪を兼ねた諸人救済の大願であつた。そこに父親を了海に殺された男が現れる。生涯を賭けた大事業を前に、仇討ちが矮小な行為であることを描く。封建的な価値観からの脱却といふ側面もあるが、より高次の天命があることを示した作品と云へる。[☆☆]

『藤十郎の恋』[小説]

 坂田藤十郎はやつしの名人として京では並ぶ者がない。鳴り物入りで江戸から来た中村七三郎に人気を奪はれると、近松の密夫狂言で対抗するが、道ならぬ恋の新境地を拓く為に人妻相手に偽りの口説を仕掛ける。稽古相手にされ貞淑を愚弄された女の命と引き換へに名技は磨かれる。藝術至上主義の功罪を描いた傑作。[☆☆☆]

『ある恋の話』

 若く美しい未亡人が、大して売れてもゐない役者に入れ込み足繁く観劇に通ふ。その惚れ込みやうは役者に気があるやうにしか見えぬが、演技に心奪はれてゐるだけだ。役者その人のことは浅ましく嫌ふのだから一筋縄ではない。虚構は虚構であるから美しいことを気付かせる名作。[☆☆☆]

『形』

 「槍中村」と恐れられた侍大将の服折と兜は畏敬の的だつた。気軽に貸し与へたら死を招いた。レッテルの威力を侮るなかれ。教訓的な掌篇。[☆]

『藤十郎の恋』[戯曲]

 同名短編小説の戯曲化。密夫の役を極めん為に仕掛けた表情や仕草の妙は舞台でこそ真価を発揮するが、小説前半の叙述、好敵手中村七三郎の評判に焦りを感じる藤十郎の切迫した心理描写が戯曲では欠けてをり、藝術至上主義の側面が弱くなつて仕舞つた。[☆☆]

『敵討以上』

 短篇小説『恩讐の彼方に』を戯曲化した作品。心理描写が核心を抉つてをり、小説よりも断然良い。お弓の悪女振りが際立つのと、敵討の本願を超えた境地に至る終幕での台詞の力で小説を凌駕する。[☆☆☆]

『極楽』

 死後に念願の極楽浄土に行けた夫婦だが、二人だけでの未来永劫続く平穏無事な時間に堪へ切れなくなり、地獄を想像して語り合ひ震へ慄く時間が退屈凌ぎになるといふ落ち。満ち足りることが人間の幸福ではないことを喝破した皮肉さ。[☆☆]

『蘭学事始』

 編纂者に名はないが、前野良沢抜きに『解体新書』誕生は考へられない。良沢は蘭学に取り憑かれた第一人者であつた。翻訳では志を同じくしたが、医学の進歩を望む実学派の杉田玄白と、蘭学の集大成を目指す良沢の終着点は異なつた。『蘭学事始』の舞台裏、玄白の心理を抉る名作で、気の置けない良沢への並ならぬ敬意が静かな感動を誘ふ。知は力なり。[☆☆☆]

『入れ札』[小説]

 侠客国定忠次が信州へと落ち延びる際に、連れて行く子分は3名に絞るが得策としたが、義理堅い忠次は公平を重んじ、子分らだけの入れ札で3名を選出するように提案する。不相応な自薦をして仕舞つた九郎助の後悔がエゴイズムの痛切さを描く。[☆☆]

『俊寛』

 鹿ヶ谷の陰謀に連座して鬼界ヶ島に流され、一年後の大赦にも与らずひとり残された俊寛は島で没したとされるが、菊池の創作では島で逞しく新たな人生を再出発する姿が描かれる。都での栄達や確執から解放され、自然のままに幸福を見出す。救出に来た都からの使者の申し出をも拒絶する。運命を受け入れた名作。[☆☆☆]

『時勢は移る』

 戊辰戦争が舞台の近代劇。新旧二分した内戦を、家庭内に凝縮した妙。幕府への忠義を貫く父親と、官軍と新政府の勝利を熱望する息子の対立。新旧思想の溝は深いが、両者の偏狭が無用の血を流す。争ひの無益さを描く名作。菊池はさらに続編を展開したかつたやうだ。[☆☆]

『岩見重太郎』

 恩義の為に身をやつしていた豪傑岩見重太郎が道場荒らしの剣客を退ける前半は痛快な「やつし」による勧善懲悪劇だ。後半では暴徒化した破落戸らの報復を忽ち仇討ちし胸がすくが、最後の岩見重太郎を厄病神扱ひする台詞により、旧時代的な英雄譚の軽佻さを否定する開明さを帯びるのが新機軸。[☆☆☆]

『玄宗の心持』

 安禄山に追ひ詰められた玄宗皇帝は要望の苛烈さに気圧され、楊氏一族を已む無く処分していくが、遂には最愛の楊貴妃の命をも奪ふといふ作劇術だ。菊池の創作では楊貴妃を失つた玄宗の心の重荷が取れて晴れやかになるといふ点に意地悪さがある。[☆☆]

『袈裟の良人』

 芥川も題材とした文覚こと遠藤盛遠と袈裟御前の物語。菊池は袈裟の良人渡辺渡の視点でこの悲劇を再構築する。妻の異変に気付くも救へず、盛遠への恨みも空しと諦観し、妻の自己犠牲と己を頼つてくれなかつた辛みがずしりと重い。最も悲劇的な人物に焦点を当てた心理劇の傑作。[☆☆☆]

『小野小町』

 美貌の小野小町は、引く手数多の求愛者の中から深草の少将に対して百日の通ひ詰めを条件に靡くと約す。あと一夜となつて心理状態が興奮し、不安に転じてからの笑劇的展開。形式に囚はれる愚かさを揶揄し、意地の張り合ひが齎す滑稽さを描く軽妙な喜劇。[☆☆]

『時の氏神』

 「仲裁は時の氏神」の諺を顕現化した近代家庭劇。夫婦喧嘩で妻が家を出ようとしたその時、同じやうに家出して来た婦人が転がり込んでくる。対処に困つて夫婦仲の良さを見せつけて里心を呼び起こす一芝居が成功するが、おかげでこちらも仲直り。微笑ましき喜劇。[☆☆]

『入れ札』[戯曲]

 同名短編小説の戯曲化。戯曲化に際し、自ら入れ札をした九郎助の心理に焦点を当てた。台詞のみで、九郎助の期待、焦燥、羞恥、嫌悪、悲哀が押し寄せる。比べると小説は俯瞰的な視点での心理の叙述があり緊張感は希薄だ。戯曲化における珠玉。[☆☆☆]

『真珠夫人』

 通俗小説の代名詞となり、映像化でも人気を博した大衆文学の金字塔である。菊池は意欲をもつて通俗小説に取り組んだ。痛快である。実は作品中で通俗小説論を戦はせる場面がある。主要登場人物のひとり渥美信一郎は菊池の代弁者と云へよう。渥美は明治文壇の第一の文豪を紅葉と意見し、読まれ過ぎて通俗化した『金色夜叉』を擁護する。純文学と大衆文学の差異を通俗化で計るか否かといふ文学論は興味深い。さて、『金色夜叉』を作中で語つたのには強い意図を感じずにはゐられない。成金の邪な意地によつて恋人と引き離され、不本意な結婚をしても処女を守り、金権社会に踏み躙られた運命に復讐すべく男どもを翻弄する瑠璃子の物語は女版『金色夜叉』であるからだ。男を誑かす妖婦と純愛を貫く処女の二面性を重層的な構造で描き、金と愛といふ普遍的な主題を展開する『真珠夫人』を通俗小説と断じるのは浅薄ではないか。嗜虐が過ぎ浮世離れた絢爛華麗な設定とは云へ、開明的な淑女である瑠璃子の魅力は存分に出てをり、読者を虜にする伏線の巧さは古びない。菊池は自負をもつて『真珠夫人』を書いて新境地を拓き、潮流を作り出した。文学史上意義のある作品であることに疑念の余地はない。[☆☆☆☆]


戻る