カフカ

(Franz Kafka、1883〜1924)


『変身』 "DIE VERWANDLUNG"

 この余りにも有名な小説は、無限の解釈が許される作品であり、定まつた見解を躍起になつて探すことなど止した方がよい。だが、多くの読者が受ける衝撃は次の点に集約されるのではないか。それは突然の不条理を作品中の人物全てがたわいなく受け入れることだ。実際には有り得ないことと読んで仕舞つたらカフカの意図に反することになる。これは寓話である。グレーゴル・ザムザの身に起こつたことは我々にも起こり得ることなのだ。近代社会は、それまでの共同体社会が解体し、個人が民族、階級、学歴、財産、思想などで規定され世界と結びついていく社会である。個人はレッテルに基づいて識別される存在となつた。ある日突然毒虫となり、忌み嫌はれる厄介者となることは、レッテルが一変し、迫害されて葬られることの意と解釈したい。『変身』は、カフカにとり切実な問題であつた反ユダヤ主義に対する危機感の結晶と読んだ。カフカの死後、『変身』の世界は、ナチス・ドイツによつて現実のものとなり、一夜明けるとユダヤ人は友人や親族からも迫害を受ける立場に身を変えた。突如として世界から分断され阻害された人間とその周囲の諸相を、預言者カフカは不気味に描いてゐる。後味は限りなく悪い。[☆☆☆]

『流刑地にて』 "IN DER STRAFKOLONIE"

 珍妙極まりない処刑装置を熱く語る将校の生きる世界は狭い。前司令官への盲目的な崇拝と、仮想敵とされた現司令官への警戒。全体は謎に包まれ、部分しか見えず、しかもその部分の中であらゆる仮説を試み、仮説の末端は原型を留めないといふカフカの特徴が如何なく発揮された作品であり、解釈は尽きない。分立化した制度や機関の非人間的なあり方に無関心で当たる旅行家、尊厳を放棄し権力に動員されるがままに任せる囚人と兵士。細分された世界に生きる人間が拠り所としてゐる無意味なものへの侮蔑が込められてゐる。[☆☆]

『城』 "DAS SCHLOSS"

 未完のまま残されたカフカ最大の大作。この作品が完成した姿など想像だに出来ない。カフカはこれほどの紙数を費やして測量師Kを最初の地点から一歩も動かしてはゐない。目的であり到達点である「城」にKは全く接近することが出来ない。Kは身近なところから「城」を理解し歩み寄ろうとする。しかし、その度に僅かな足場の確実性すら危ふくなる。文体も底なし沼のやうだ。カフカは「全く」「全然」「少しも」といふ否定文を頻繁に使つておきながら、忽ち打ち崩して読者を困惑させる。「城」は次第に官僚機構や役人といふ非人間的な組織の姿を呈す。階層的に細分化された権力の受け渡しに従事する没個性的な役人たちの実のない言葉が絶望的だ。カフカは因果律を排した世界を徹底的に描く。やがて読者もKと同じく、論理的整合性が通じない世界に諦観を抱くやうになるかもしれぬ。しかし読者よ、因果律のない不条理な世界に屈してはいけない。それこそナチズムへの道であるからだ。ナチスは故意に組織を複数作り権力を分断し増殖させた。互いの組織は独自の体系を持ち、連携を持たず、同じ箇所を統制し、異なる裁決を示した。競合させる為ではなく、ナチズムといふ運動を不断にする為にである。その為に仮想敵を次々と設定し、破壊と想像を一体とした。預言者カフカの恐るべき警告の書。[☆☆☆]


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