イプセン

(Henrik Ibsen、1828〜1906)


『人形の家』 "ET DUKKEHJEM"

 近代演劇の始祖として新境地を切り開くことになつた記念碑的作品。ノーラの家出といふ余りにも有名な幕切れが、女権問題の観点からのみ語られることが多く、表題の人形といふ語が女性への抑圧を想起し過ぎることもあり、解釈が画一的に為され勝ちだ。この作品の悲劇は、ノーラの夫トルヴァルのエゴイズムと因習的な道徳観―無論女性蔑視を含む―が瓦解する点にある。イプセンは男と女の論理を決別させ女性解放を謳ふ反面、ノーラの思想に混乱を残し全面的に正当性を与へてはゐない。近代社会の悲劇は共同体社会の崩壊にあり、その核をなす家庭の崩壊にある。イプセンは来る時代の悲劇を見抜いてゐる。ノーラは新生するために破壊を敢行したが、それが安直な楽園への道ではないことを。[☆☆]

『幽霊』 "GENGANGERE"

 上演当時の通念を破壊する力に充ちた地獄絵図のやうな作品で騒然たる反響を惹起した。三一致の法則を厳守した完璧な作劇術で、僅か5人といふ登場人物が展開する3幕の家庭劇は、『オイディプス王』に比すべき劇的緊張感を漲らせたエクソダスへと転落する。故人アルヴィングが蒔いた悪の種が萌芽し、亡霊の如く登場人物を苦しめる。道徳観念の為に偽善を貫いた未亡人の本音と建前の鬩ぎ合ひは、放蕩な血を受け継ぐ息子と娘の近親相姦の予感により悲劇を通り越す。因習的な倫理観を代表する牧師にも鉄槌が下り、息子の忌まはしい病気が救ひのない幕切れを用意する。表題の幽霊とは人間の感性を捩じ曲げる社会の掟である。古い共同体社会の崩壊により価値転換に迫られた近代が怯える地獄への第一歩を刻印した問題作。[☆☆☆]

『民衆の敵』 "ENFOLKEFIENDE"

 物議を醸した前作『幽霊』への攻撃に対する反駁として一気に書かれた渾身の作で、イプセン全作品中最も激烈な調子に貫かれ、数多くの名言が発せられる。堅実な多数が認めるやうな既存の意見を復唱することしか出来ない大衆が舵を取る近代民主主義の害悪を喝破して曰く「多数は力を持つてゐる。しかし、正義を持つことは決してない」。真理を追求し正義を信奉する人物を、最大多数の幸福を上位に据ゑる衆愚の功利主義が掌を返して糾弾する有様は、ソクラテスの処刑を彷彿とさせる。些か頑迷で独善的なストックマンの立ち回りは滑稽味を帯びて悲喜劇のやうだが、「最大の強者は、世界にただ独り立つ人間である」と壮語するストックマンはイプセンの生んだツァラトゥストラである。社会劇の範疇を超えたイプセン最大の問題作。[☆☆☆☆]

『野鴨』 "VILDANDEN"

 前作『民衆の敵』で展開した主題のアンチテーゼを掘り下げた作品。自己批判に基づく創作はイプセンの偉大さを知らしめる。過去の罪過による因業を忌避した虚像の上に成り立つ現在もまた正義の観点からすると悪なのか否か。『民衆の敵』のストックマンを矮小化したやうな正義漢のグレーゲルスは親の悪業を晒す為に、ささやかな幸福を信じようとしてゐるエグダル一家に隠匿された真実を突付ける。都合の悪い事全てを知ることに人間は耐へきれない。「平凡な人間から人生の嘘を取り上げるのは、その人間から幸福を取り上げるのと同じことになるんだからね」と云ふ台詞こそ、この劇の核心である。『民衆の敵』と一対を成す深刻な家庭劇で、併せて鑑賞しなくてはならない。どちらにも真理があり、どちらにも許さねばならない嘘がある。[☆☆☆☆]

『ヘッダ・ガーブレル』 "HEDDA GABLER"

 社会劇で時代を築いたイプセンであるが、この『ヘッダ・ガーブレル』は内面の葛藤と苦悩を抉り出した作品で、特異な位置を占める。ヘッダはイプセンの生み出したファム・ファタルで、世紀末の思潮を鋭く反映した新しい女性像である。複雑な性格の持ち主だが、基底にあるのは生命の証を求める強烈な個人主義と懐疑で身を滅ぼすニヒリズムである。ヘッダは「何よりたまらないのは、永久に一緒だつていふことよ、同じ一人の人間と」と云ひ放つことを恐れない。反キリスト的な女性の先駆を描きイプセンは来る時代の悲劇を預言をする。男は女によつて救はれる。だが、女が道を失へば―男も女も破滅する。[☆]


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