ユゴー

(Victor-Marie Hugo、1802〜85)

 ブザンソン生まれ。父はナポレオン麾下の軍人だつた。若き頃より詩人になる大志を抱き、やがて天才的詩人として注目を集め、ロマン主義者集団「セナークル」の中心人物となつた。1830年、古典主義者らと対立する騒動となつた「エルナニの戦ひ」の勝利によつて、文壇の首領となつた。七月革命後、政治・社会への関心を強め、代議員として社会変革に乗り出した。二月革命では共和主義に共感、ルイ・ナポレオンのクーデタに対しては断固として抵抗した。その為、亡命を余儀なくされ、政治生命を断たれた。しかし、創作活動に実りが増し、亡命地での心霊体験も交へて形而上学的詩人へ変貌、『静観詩集』『レ・ミゼラブル』を世に送り出した。普仏戦争による第二帝政瓦解によつて、祖国に帰還。死に際しては国民的詩人として国葬された。


『死刑囚最後の日』 "LE DERNIER JOUR D'UN CONDAMNÉ"

 ロマン派運動の泰斗として頭角を顕した若きユゴーが投じる一石。死を決定づけられた男の心理描写における精緻さは余りにも強烈で、正常な心持ちでは読み続けることが出来ないくらいだ。未来がわかつたら狂気に陥るしかないといふ真理を読者は知るであらう。死刑囚は世界と断絶されて、人生を皮相に思ふ様は真に迫つてゐる。監獄や囚人の描写もまた然り。幾分説教がましい嫌ひがあるが、ユゴーの主張は被害者の心情を排してまで、人が人を断罪するといふ不条理に反抗する。寛恕といふ『レ・ミゼラブル』まで一貫して流れるユマニスムが、血飛沫をあげて読者に襲ひ掛かる問題作。[☆☆☆]

『エルナニ』 "HERNANI"

 世にも高名な「エルナニの戦ひ」。フランス文壇の天下分け目となつた事件で勝利を収め、古典主義劇との決別を鮮明にした点で意義がある。三一致の法則や句跨ぎの禁則に叛旗を翻しロマン派劇の嚆矢となつたが、シェイクスピアに比べれば遥かに古典的で、スペインの劇作に近い。若きユゴーの溢れる情熱が発火したやうな名作で、複雑に敵味方が入れ替はる展開はシラーを彷彿とさせる。エルナニと想ひ人ドニャ・ソルとの結ばれることのない境遇が悲劇を一貫するのは常套だが、横恋慕する敵手が2名なのが劇に奥行きを与へてゐる。最後に若きドン・カルロスが寛容で和解するのに対し、掟と誓ひを遵守することを要求する老ドン・リュイが不幸な結末を齎す配置は、後に付された序文にある「文学における自由主義」を巡る攻防を象徴してゐる。[☆☆☆]

『ノートル=ダム・ド・パリ』 "NOTRE-DAME DE PARIS"

 初期の大長篇小説でも物語の進行より歴史考察や時代背景の叙述の方に熱が入る。劇的な筋の展開は寸断され、薀蓄や脱線話が延々と続くのはユゴーの小説の特徴である。云ふなればこの長篇の主人公はパリのノートル=ダム大聖堂で、代表的なゴシック建築へのオマージュの為に書かれ、取り巻く15世紀のパリを蘇らせた真の意味でのゴシック小説なのだ。登場人物が密接に関はり合ふのは些か出来過ぎだが、それだけに終盤の劇的効果が凄まじい。一般には傴僂のカジモドとジプシー娘エスメラルダに関心が集中しがちだが、抗ひ難い欲望の悲愴感に苛まれる司祭フロロと、狂言回しであり乍ら重要な繋ぎ役を担ふグランゴワールこそが複雑な性格を持ち、近代的な深みを帯びてゐる。[☆☆☆]

『レ・ミゼラブル』 "LES MISÉRABLES"

 この大作をジャン・ヴァルジャンの波瀾万丈の物語と読んでしまつては、ユゴーの本意に背くことになるだらう。この小説は激動のフランス史の証言であり、貧しい人々が罪へ陥る社会構造の矛盾を告発する作品である。その為に行なはれる脱線や蘊蓄こそが、作品の価値を高めてゐる。ユゴーはジャン・ヴァルジャンといふ殉教者を通して全てを語る。それには、フランス大革命、ジャコバン独裁、ナポレオン戦争、ブルボン復古王政と反動政治、そして七月革命を理解しなければ、ワーテルローの件もジルノルマン氏もアンジョルラスも甲斐がない。そして、ユゴーの生涯を辿れば、其処彼処にマリユスがゐる。罪の問題はこの小説の重要な主題のひとつである。訳書ではたつた一度だけ、ゴルボー屋敷の陰謀といふ物語の折り返し点で「レ・ミゼラブル」と発せられるが、社会が生んだ犯罪者テナルディエでさえも一様に断罪してはならぬと作者は云ふ。どんなに善行を積んでも、罪は消えない。だからこそ、人間が行なふ断罪は神への冒涜に等しい。司教とジャン・ヴァルジャンが示すユマニスムにこそ、救済の糸口があるはずだとユゴーは問ふ。ジャン・ヴァルジャンは終始行動するのみだつたが、最期にだけ口を開く、「物事が好きなやうにならないからといつて、神さまにたいして不当であつてはならない」と。[☆☆☆☆]


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