ホフマン

(Ernst Theodor Amadeus Hoffmann、Ernst Theodor Wilhelm Hoffmann、1776〜1822)


『ドン・ファン』 "DON JUAN"

 『カロ風幻想曲』に収録された音楽評論と幻想小説の間の子。音楽に魅入られ霊感を得た主人公と、詩を理解しない俗人との対比が秀逸だ。作曲家にして劇場指揮者であつたホフマンだけに為せる描写の数々。モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」の解釈は後代に深い影響を及ぼした。 [☆]

『黄金の壺』 "DER GOLDNE TOPF"

 『カロ風幻想曲』に収録されたホフマン初期の傑作。天馬空を行く如く跳梁跋扈するメルヒェンは荒唐無稽の極みであるが、次の瞬間にホフマンは現実の世界に読者を引き戻す。主人公アンゼルムスの幻覚めいた超常体験が説明可能な現象としても語られる。かうして振り子の如く幻想と現実を行き来し、読者に境界を見失はせる。敵と見方の境界も曖昧だ。ここにこそホフマンの全作品に通底する主題がある。合理主義に浸食された悟性の己惚れに反比例するやうに鈍らされた感覚は、不自由で惨めな世界に閉じ込められ朽ち果てるのだ。世界を分断してしまふ詩心の欠如をホフマンは随所で嘆く。黄金の壺を持つゼルペンティーナの愛を得るには睫眉の差しかないのに。 [☆☆☆]

『悪魔の霊酒』 "DIE ELIXIERE DES TEUFELS"

 呪はれた異邦の画家の末裔として数奇な運命を担つた修道士メダルドゥスの奇譚で、飛翔する幻想と不気味な暗示で読者を興奮の坩堝へと誘ふ傑作。感応せぬ者は夢も情操もない輩である。善と悪との交錯と対峙をさせる象徴としてドッペルゲンガーといふドイツ・ロマン主義が好んだ霊感を縦横無尽に跋扈させ、現実と幻覚の境界をぼかすホフマンの手腕は見事だ。複雑極まりない人物相関図も読者を惑溺させる。作品の随所に示された合理主義への不信感と超感覚的なものへの崇拝はホフマンを読み解く鍵となる。「恒日頃事実は大いに奇蹟とまがふほどのものに取り囲まれてゐながら」「それを把握しきれないが故に愚かにも頑固な態度を崩さず」「その現象の現はれ方が余りにも透明過ぎ、外側の眼の粗雑な表面には映らないからといふだけで、頑なに内側の眼に映つてゐることまでをも」「拒絶してしまつてゐるのだ」とは至言だ。[☆☆☆☆]

『砂男』 "DER SANDMANN"

 『夜景小曲集』に収録された高名な代表作。後世に多大な影響を与へた不気味な怪奇趣味が出色だ。子供時代に聞かされた目玉を奪ふ砂男の話に怯へつつ引き寄せられるナタナエルは、父の死の原因である砂男コッペリウスの残像に苦しむ。この作品の異常さは、コッペリウスの助力を得てスパランツァーニ教授が造つた自動人形オリンピアにナタナエルが恋をするといふ倒錯に凝縮される。コッペリウスの望遠鏡を通して見た時から生命を吹き込まれたオリンピアが絶世の美女に映るといふ狂気への入り口はホフマンならではだ。壊れたオリンピア、取れた目玉、発狂するナタナエル、異常な展開は読者に衝撃を与へずにはをれまい。[☆☆☆]

『G町のジェズイット教会』 "DIE JESUITERKIRCHE IN G."

 『夜景小曲集』に収録。絵画藝術の蘊奥に触れた件は画家でもあつたホフマンだからこそ書けた秀作だ。教会の装飾画家に身を落としてゐたベルトルトの半生が語られる件は実に読ませる。より高き藝術を求め続けた求道者ベルトルトは理想と現実との折り合ひがつかず、画業に迷走する。理想の女性像であつたアンジョラと宿命的な結婚をした後にもたげる喪失感は真の藝術家だけが味はふ痛切な悲劇である。[☆☆☆]

『廃屋』 "DAS ÖDE HAUS"

 『夜景小曲集』に収録。不可思議な違和感を感じる廃屋に引き寄せられる主人公。次第に廃屋に隠された秘密が明らかにされて行くのだが、主人公の精神を蝕み乍ら暗黒面へ引き摺り込まれさうになる様は息を飲む。廃屋を手鏡に写して見ると女の姿が現れ、覗き見に現実から攫はれさうになる場面の猟奇性はホフマンの独擅場だ。廃屋に秘められた暗い歴史の封印が解かれ、主人公が狂気に感応してゐたことが語られる恐怖小説。[☆☆☆]

『クレスペル顧問官』 "RAT KRESPEL"

 『ゼラピオン同人集』に収録された名作で、音楽家ホフマンの面目躍如たる美しくも儚い調べがある。奇人クレスペルはアントニエといふ秘蔵の若い娘を囲つてゐる。絶世の歌声と噂されるアントニエの歌を聴こうと近付く主人公だが果たされない。娘の死後、クレスペルは真実を語る。アントニエは歌姫であつた母と同じく歌ふことで命を奪はれて仕舞ふ病ひを持つてゐたのだ。刹那の美を求めて命を燃やす藝術の残酷さを描いた傑作。[☆☆☆]

『ファールンの鉱山』 "DIE BERGWERKE ZU FALUN"

 『ゼラピオン同人集』に収録。船乗り稼業に染まれない主人公は、亡霊トールベルンの導きにより坑夫となり地底深く隠された神秘に魅せられるが、鉱山主の娘との恋は山の怒りに触れ命取りになると預言される。トールベルンは世俗的な幸福を忌み嫌ひ、地底の女王に全てを捧げる崇高な魂にのみ語りかけるのだ。鉱石に神秘を見出すドイツ・ロマン主義の悲劇的な予感に満ち溢れた作品。[☆☆]

『胡桃割り人形と鼠の王様』 "NUSSKNACKER UND MAUSEKÖNIG"

 『ゼラピオン同人集』に収録。チャイコフスキーの高名なバレエの源泉ともなつたメルヒェンで、ホフマンの幻想が存分に詰まつた名作である。擬音語がふんだんに用ゐられてをり、音楽家ホフマンの実験的な要素も重要だ。登場人物では奇怪なドロッセルマイヤーが狂気の世界への扉を開閉してをりホフマンの醍醐味を一身に集約してゐる。[☆☆]

『スキュデリ嬢』 "DAS FRÄULEIN VON SCUDERI"

 『ゼラピオン同人集』に収録された傑作で、破天荒な作風のホフマンにしては珍しく歴史の舞台を借りてゐる。謎の連続強盗殺人事件に巻き込まれて行く淑女スキュデリが事件解決の鍵を握つてゐることに気付く探偵小説の要素が骨子だが、ホフマンの神髄は金細工師カルディヤックの人物造型に顕現されてゐる。暗い情熱に取り憑かれ、殺人を犯してまで己の創つた宝物を手元に置くといふ猟奇的な異常さが強烈だ。そのカルディヤックに例外を持ち込んだのがスキュデリ嬢の一言だつたとは、意表を突いて天晴だ。ばらばらの出来事が数奇な運命によつて繋がり、真相が明らかになる手法は後の推理小説の源流と云へる。[☆☆☆]

『ブランビラ王女』 "PRINZESSIN BRAMBILLA"

 副題に「ジャック・カロ風のカプリッチョ」と添へられたホフマンの魔術的手腕が最も発揮されたCommedia dell'arteで、凡庸な読み手では歯が立たないだらう。ホフマンは意図的に整合性や一貫性を破壊してくるので、概要を語ることは無意味である。現実と幻想の往来を描き続けてきたホフマンだが『ブランビラ王女』は徹底してゐる。役者ジーリオとお針子ジアチンタの恋は重層的に変奏され、香具師チェリオナティは狂気への入り口を案内する魔術師となる。全篇超現実的な謝肉祭の雰囲気に支配された中篇小説。[☆☆]

『牡猫ムルの人生観』 "LEBENSANSICHTEN DES KATERS MURR"

 未完に終つたホフマン最大の長篇小説で極めて独創的な作品だ。愛猫家ホフマンが飼ひ猫と同じ名前のムルを主人公にし、人語を解する高等な知能を持つ猫の物語を創出した。人語による著作で一寸した有名猫だが文士気取りで世間に疎い。そんなムルが経験する恋愛や連帯活動などが描かれるビルドゥングスロマンの性格を持つ。詩作をする高踏的なムルが世俗との交はりで味はふ挫折が教訓的に述べられる自伝だ。さて、冒頭に注釈があるが、編集者の怠慢で珍事が発生したといふ設定が重要だ。ムルが下敷や吸取紙として破いて使用した楽長クライスラーの伝記本の断片が原稿の間に挿入されたまま印刷されて仕舞つたのだ。ムルの自伝とクライスラーの伝記が入れ子となり同時進行する二重構造なのだが、寧ろクライスラーの物語こそ作品の心臓である。断片の為、最初は物語の世界がなかなか掴めない。しかし、聡い読者は楽長クライスラーが作曲家ホフマンの分身であることに気付くだらう。小市民的な常識を軽蔑し、藝術家特有の破壊と創造が入り交じつた情念を持つクライスラーの狂気は魅惑と畏怖の感情を抱かせる。二つの物語を繋ぐ魔術師のやうなアブラハム師はホフマンの理想化された姿であり、超越者である。ムルとクライスラーの物語は相関し、暗喩を秘めたことにホフマンの天才と意匠がある。異才クライスラーと心底で通ひ合ふユリア、恐れながらも惹かれる公女ヘドヴィガーとの関係、その二人に迫る危険を孕んだ第二部迄でホフマンの筆は折れて仕舞つた。冒頭で予告された事件の結末は語られないまま、ムルがクライスラーの伝記を破いた経緯も描かれないままだ。痛恨の極み。[☆☆☆]

『従兄の隅窓』 "DES VETTERS ECKFENSTER"

 ホフマンの絶筆作品。脊椎カリエスが悪化し病床で身動きがとれなくなつたホフマンが口述筆記で残した掌篇で、屋根裏部屋の窓から広場の喧噪を見下ろす従兄の姿はホフマンその人でもあるのだ。窓から見える人々の様子からそれぞれの背後にある人生や世界を創造して行く観察眼と空想力。変哲もない日常と奇想天外な事件との境界とは窓を通したホフマンの視点に他ならない。幻想の秘密ここにあり。[☆☆]


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