世界文学渉猟

ゴーティエ

(Pierre Jules Théophile Gautier、1811〜1872)


"LA CAFETIÈRE"

『コーヒー沸かし』

 最初期の掌篇小説。死者の世界との奇怪な交流を描く。騒然とした幻覚の場面の描写力は魔術師ゴーティエの萌芽が認められる。終生の主題、愛と死が扱はれてゐるのも重要だ。[☆]


"ONUPHLIUS"

『オニュフリユス』

 才気ある画家で詩人でもある青年が俗世との折り合ひを付けることが出来ず、苛立ち苦しむ。主人公の処世を阻むのは悪魔の陰。悪魔の奸計か発狂の産物か、その境界線が巧妙で幻想的な狂気が攪乱する。悪魔との格闘が痛ましく、疲弊する様は哀れだ。幽体離脱の場面が秀逸で、唯一の理解者であつた恋人の心変はりに苛まれる様は狂ほしい。ホフマン風の悪魔的幻想小説で、緊張感が持続し疾風のやうに駆け抜けた傑作だ。[☆☆☆]


"MADEMOISELLE DE MAUPIN"

『モーパン嬢』

 ロマン主義全盛期に生み落とされた魔物。藝術の為の藝術―藝術至上主義を標榜した高名な序文は、作品と不可分の性質を持ち、縺れた愛の結末に必然性を与へてゐる。『モーパン嬢』を男装の麗人を廻る二重の愛の物語と読むだけでは不毛だ。敢て云ほう。これは愛の物語ではない。美の物語である。完全無欠な美を探求するダルベールは極上の愛人ロゼットにすら至高の美を見い出さそうとしない。ロゼットもまた絶対の愛の為に心身を遊離させる。モーパンもまた女と男を隔てる秘密を相対的な美の感覚に還元する。3者が告白する醒めた愛の諦めには背筋が凍る。読者は両性具有、同性愛といふ禁断の果実に幻惑されてはならない。微細な性交の描写も道徳を超えた美の為にゴーティエが敢行した挑戦である。ボードレールとワイルドに啓示を与へ、唯美主義を育んだ意義は余りにも大きい。[☆☆☆]


"LA MORTE AMOUREUSE"

『死霊の恋』

 放蕩の限りを尽くして往生した遊女の霊が品行方正な司祭の魂を幻惑し、官能の深みに沈み込ませ、死して後も快楽を貪り尽くす為に生き血で延命を謀る。吸血鬼小説の傑作とされる『死霊の恋』の真の凄みは青白い死と理性を超えた狂ほしい情欲、刹那の愛と美を視覚的な悦楽にして美文に結晶させた点にある。フュースリの絵画のやうな怪奇幻想的な趣に溺れたい。[☆☆]


"DEUX ACTEURS POUR UN RÔLE"

『二人一役』

 俳優を夢見る青年がメフィストフェレス役で好評を得るが、本物の悪魔が現れ、演技を扱下ろす。悪魔の本当の凄まじさを見せて去るが、尚も腑抜けた演技をする青年を今度は奈落に落とし、悪魔が替はつて舞台に立つて観客の肝を潰す。手際良く纏まつた掌篇で、悪魔の性格が出色の出来映えだ。[☆☆☆]


"ARRIA MARCELLA OU SOUVENIR DE POMPÉI"

『アッリア・マルチェッラもしくはポンペイ夜話』

 現世にない美を愛する主人公がポンペイから発掘された女の鋳型に魅入る。その夜、主人公の想ひが在りし日のポンペイを眼前に現出させる。絢爛たる美文で古代ローマの世界を描写する様は圧巻で、まるでゴーティエが二千年前のポンペイを見て来たかのやうな迫力と説得力がある。読者を酔はせ幻惑させる魔術師の真価が遺憾なく発揮された名作だ。理想を追ひ求める余り、現世的な美には価値を見出せなくなる悲劇を描いた点も重要だ。[☆☆]


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