二葉亭四迷

(長谷川辰之助、元治元年〜明治四十二年、1864〜1909)

 江戸市ヶ谷生まれ。本名、長谷川辰之助。二葉亭四迷の由来は「余が半生の懺悔」にあるやうに「くたばつてしまへ」。儒学者より漢学の手解きを受けた。この頃、吉田松蔭に心酔。日露関係に関心を持ち、東京外国語学校露語科に入学。トゥルゲーネフ、ドストエフスキーの作品より決定的な影響を受けた。学校の廃止に伴ひ退学。坪内逍遥に出会ひ、その知遇を得て『浮雲』を発表。言文一致体の創作実験が行なはれた『浮雲』は、作品の理念からも日本近代小説の先駆となつたが、未完のまま放置された。トゥルゲーネフの『あひびき』『めぐりあひ』などを訳出。文壇に入ることをよしとせず、役所勤め、ロシア語教授、満蒙での実業活動など職を転々とした。新聞社に入社し、『其面影』『平凡』を発表。特派員としてペテルブルクに赴任。肺結核のため帰途につくが、インド洋ベンガル湾上で客死した。


『浮雲』

 開国後の僅かな期間で外国文学―しかも当時最も深みを帯びたロシア文学―を吸収した二葉亭が、その影響下で書いた『浮雲』は、日本文学史において突然変異とも云へる作品。取り分け第二篇の最後から第三篇にかけての心理の葛藤は普遍的な価値を持つ。刻々と移ろう心理に確証を見出すことは出来ない。まして他人の心理ともなれば見誤る。憶測とすれ違ひで緊張を孕ませるのはドストエフスキーの手法だ。プロとコントラ(肯定と否定)の交錯。真理を垣間見ながら、懐疑と優柔不断によつて苦悶するインテリゲンチャの文三は、二葉亭の投影であるとともに、ラスコーリニコフの投影でもある。また、知識人の思想と主義が、近代以前の共同体社会との軋轢を生むことを、この作品はそれとなく描く。ここにバザーロフ的人物の影響もみてとれよう。[☆☆☆☆]

『其面影』

 人間は思ふやうにならない人生に不満を抱きながら、方便を付けて生きてゐる。世渡り下手な知識人として現実に何処か折り合ひを付けられないでゐる哲也は、幸薄き佳人小夜子への想ひと共に転落する。二葉亭は「何時も狐疑逡巡する。決着した所がない」哲也への共感を要求しない。だが、他の登場人物らの人生は、虚栄と欺瞞に充ちて何と低俗なのだらう。たとひ姦通であらうとも両人が焦がした神聖な愛の焔には真実が宿る。小夜子が命を懸けたのに、哲也は懐疑して非人情を躊躇ふ。二葉亭は人文主義の悲劇を抉る。危ふき心理の葛藤と想ひ破れた喪失感がずしりと重い名作。[☆☆☆☆]

『平凡』

 自伝的小説で二葉亭そのひとを解読する鍵になる作品だ。しかし、名実ともに自然主義小説ではない。二葉亭は全ての作家とは異なる境地でこの作品を書いた。文学の価値への懐疑。それだけではない。理想、主義、思想、人生そのものへの懐疑。肩肘張らない軽い筆致ではぐらかされてゐるが、深い諦めと哀しみが塗り込まれた作品だ。藝術作品ではない。そもそも二葉亭にその意識はない。だが、ロシア文学に脈を持つインテリゲンチャの苦悩が、読者を動揺させる。「私は懐疑派だ」「余が半生の懺悔」と併せて読むと、この日本文学史から隔絶した作品をより深く味はへる。[☆☆☆☆]


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