世界文学渉猟

サン=テグジュペリ

(Antoine Jean-Baptiste Marie Roger de Saint-Exupéry、1900〜1944)


"COURRIER SUD"

『南方郵便機』

 サン=テグジュペリの処女作。大地から足が離れた操縦士ベルニスの価値観は日常の不変的で永続的な幸福には馴染まない。ジュヌヴィエーヴとのアヴァンチュールも空虚な着陸のひとつでしかない。生の目的を持たないジュヌヴィエーヴは男の冒険を理解しない詩情なき凡庸な女であり、愛も幻滅しかもたらさず、ベルニスに虚ろな思ひ出しか残さない。辛口のロマンが随所に閃く男の為の叙事詩。[☆☆]


"VOL DE NUIT"

『夜間飛行』

 近代社会の新しい人生観を、時代の最先端を行く夜間航空郵便といふ事業を通して描く傑作。支配人リヴィエールが己と従業員に課す掟は、ニーチェの超人思想に比すべき既成の道徳価値を打破した強靭さをもつて迫り、読者を戦慄させる。リヴィエールが施す信賞必罰は行動と結果のみに与へられるものではなく、心情と原因にまで及ぼされる。甘さと弱音に対して挑まれるリヴィエールの信念は人間が成し遂げられる筈の偉業へと捧げられる。ジッドはいみじくも「人間の幸福は、自由の中に存在するのではなく、義務の甘受に中に存在するのだといふことを、明らかにしてくれた」と評した。優しさといふ偽善を排したリヴィエールの愛は現代社会に深い啓示を与へるだらう。[☆☆☆☆]


"TERRE DES HOMMES"

『人間の土地』

 8つの随想からなる不朽の名著。飛行士といふ職業を通じて得た生死の瀬戸際を賭けた体験は、勇気と死を軽んじることとを混同しない英雄的な人生観を育んだ。サハラ砂漠を彷徨ひ生還した壮絶な件は読者を震撼させるだらう。サン=テグジュペリは自分の死を嘆かない。先輩のギヨメ同様、自分の死により救へなくなる世界の幾つかの絶望を思ひ嘆くのだ。日常の価値観が何であらう、死に直面した人間には全ての相対的な価値観など無に帰す。人々の精神を懶惰で虐殺し、希望の芽を摘み、仮初めの目的に向つて生きるだけの現代の世界を憂慮するユマニストの真摯な想ひは偉大な職業倫理から湧き上がつたものだ。迫り来る戦争に対し「勝利は最後に腐るほうの側にある」と云ふ言葉を残した男は、行動で語る真に勇敢ある人物であつた。[☆☆☆☆]


"LE PETIT PRINCE"

『星の王子さま』

 これは童話などではない。小学生が読んで作品の真意が全て伝はるとは到底思へない。「ことばは感ちがひのもとだ」と云ふ意味を理解出来るのは、認識の誤謬といふ深刻な問題に突き当たつた大人だけだ。観念が引き起こす理性の過ちを持たない子供の純粋な悟性を取り戻す為に、この作品は童話といふ詩的な衣を纏つたのだ。王子が出会つた王様や実業家や学者らは、名誉や金銭や知識を所有してゐると思つてゐるが全て思ひ込みである。氾濫する物質文明および情報社会に生きる現代の我々は、このやうな独断と偏見に常に陥つてゐる。翻つて作者は、自分が愛することの出来る限られたものに満足すること、「かんじんなことは目には見えない」ことを説くことで、幸福の本質を追求する。文明批判の書であり、幸福論が述べられた書であり、作者自身による愛らしい水彩画の挿絵が心を潤す第一級の藝術書である。子供の時に読んだきりの方は再読するとよい。[☆☆☆☆]


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