世界文学渉猟

ドストエフスキー

(Фёдор Михайлович Достоевский、1821〜1881)


"ДВОЙНИК"

『分身』

 うだつの上がらない下級官吏ゴリャートキンは冒頭から精神分裂の兆候を色濃く示し、遂にはドッペルゲンガーの出現に苛まれる。叶ふ事のない出世や恋愛を実現して行く分身を客観し、己の潔癖さ純粋さ従順さを最後の砦に悲痛な正当性を訴へるが、汚いことをしないと栄達出来ないことへの悔しさを滲ませ乍ら壊れ葬り去られる。自負をもつて問ふた第2作目だつたが、カフカの世界を彷彿とさせる不条理の表現方法は時代の先を行き過ぎてゐた。酷評されたまま復権は覚束無いが、ゴリャートキンの人物像は『地下室の手記』へと繋がり、五大長篇で強烈な印象を残す病的な人物たちの源泉となる。ドストエフスキーの真の原点とも云ふべき名作。[☆☆☆]


"БЕЛЫЕ НОЧИ"

『白夜』

 空想を糧に生きる孤独で気弱なインテリゲンチャ像は、繊細で神経質なドストエフスキーの一面を投影してゐる。おづおづとした乙女との語らひは、青白く病的で悲痛だ。悲恋を儚く淡く幻想的に結晶させた初期短篇。[☆]


"СЕЛО СТЕПАНЧИКОВО И ЕГО ОБИТАТЕЛИ"

『ステパンチコヴォ村とその住民たち』

 異色作。ドストエフスキーの作風は深刻かつ重厚といふのが一般的な認識だらう。本作は真逆で滑稽で騒々しい。これには背景がある。思想犯として逮捕されてから10年、シベリア流刑を経た後の復帰作が検閲を意識してゐるのは当然だ。だが、不本意な迎合作品ではない。流刑体験時に民衆との接触で体験したインテリゲンツィアとロシア民衆の溝を見事に昇華させた名作なのだ。何と云つても強烈なのはフォマー・フォミッチといふ怪物だ。居候道化から似非教祖までの振り幅、知識人への歪んだ憧れと俗物根性のごつた煮、子供のやうな駄駄を捏ねる一方で高尚な人類愛を示すフォマーは化け物だ。全員が手玉に取られて振り回され、読者も苛立ちが止まらないだらう。ドストエフスキーはこのゴーゴリ的な作品で、フォマーのやうな詐欺師紛ひが跋扈する土壌を辛辣に描き、近代化を迫られるロシア農村の実情と限界を描いたのだ。[☆☆]


"ЗАПИСКИ ИЗ МЕРТВОГО ДОМА"

『死の家の記録』

 シベリア流刑がなければドストエフスキーは世界の文豪と成り得たであらうか。ドストエフスキーは極限状態に置かれた中で、民衆といふ金脈に当たつたのだ。この作品を、ロシア・リアリズム小説の最高峰と読むもよし、民衆像といふ素材の宝庫として読むもよし、生きるといふ悲しき業を真摯に読むもよし。後期大作群の出発点となつた重要な記念碑。[☆☆☆]


"УНИЖЕННЫЕ И ОСКОРБЛЕННЫЕ"

『虐げられた人びと』

 流刑後の本格的な長篇小説で、出世作にして唯一の成功作であつた『貧しき人びと』の人道主義的作風に立ち戻つてゐるのが特徴だ。一方で、後期五大長篇の萌芽が見られる登場人物らの描写と相関図、そして緊張感を増して起爆する事件の数々は中期作品の頂点と云へる。語り部であるヴァーニャは作家であり、ドストエフスキーの直截的な投影であることは間違ひなく興味深い。この作品で強烈な印象を与へるのがワルコフスキー公爵だ。陰謀家でエゴイズムの権化にしてドストエフスキー作品中の最大の悪党であり、ヴァーニャとの対決は背筋が凍る。ワルコフスキー公爵に娘と財産を奪はれたイフメーネフ老人とスミス老人の怨念が重なる構造は見事だ。この作品は五大長篇のやうな思想的な典型を具現した人物を持たず、造詣に散漫な印象は否めないが、ドストエフスキーのどの作品よりも琴線に触れる心情がある。そは全読者に一種特別な思ひを刻む。可哀想な少女ネリーの運命。この作品の宝石。[☆☆☆☆]


"ВЕЧНЫЙ МУЖ"

『永遠の夫』

 主人公は題名である永遠の夫トルソーツキーでなければならないが、寝取られ亭主を運命付けられたトルソーツキーの妻とかつて関係を結んだことがあるヴェリチャーニノフが事実上の主人公だ。直感で実の娘であると気付くリーザとの伏線を絡め、卑屈で自虐的なトルソーツキーの態度に神経を削られて行くヴェリチャーニノフの心理攻防戦が次第に距離を縮めて緊迫して行く様は、紛れもない後期五大長篇の合間に書かれたことを立証する。滑稽な気楽さも多分に盛り込まれてゐるが、トルソーツキーの臆病な復讐心とヴェリチャーニノフの苛立つエゴイズムが渦を巻いて絡む心理小説の名作だ。[☆☆☆]


"ПОДРОСТОК"

『未成年』

 虐げられた少年時代を送つたアルカージイは精神的な貴族としての自我を形成したが、物質面での優越感を手に入れ、高潔な人間嫌ひとなることで、逆説的に人類愛を体現しようとする「理想」を育む。この思想を生み出したのは善美を希求する精神である。未成年アルカージイの純粋で熱しやすい魂にドストエフスキーの希望を垣間見る。だが、真の主人公は疑ひなく父ヴェルシーロフだ。作品を複雑にし迷走させる元凶であり、アルカージイとの奇妙な父子関係もその産物である。この人物を筋道立てて理解するのは困難だ。ヴェルシーロフとは何物か。進歩主義と懐疑主義を共存させ、社会主義や無神論を吸収しつつ、素朴で善良な聖なるロシア民衆を愛する矛盾の塊である。立派な教養と物腰を具へ博愛的な一面を持つ傍、聖なるもの美しいものを侮辱し破滅させてやりたいといふ衝動を持つ。アフマーコワへの情欲とソーフィヤへの思慕が併存する化物の秘密は、あらゆる価値や既成道徳に捕はれることなく、善悪を包括して止揚させて仕舞ふ弁証法にある。寛容といふ徳で救済の道を示す巡礼マカールですらヴェルシーロフには呑込まれて仕舞ふ。[☆☆☆☆]


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