世界文学渉猟

ディドロ

(Denis Diderot、1713〜1784)


"LE NEVEU DE RAMEAU"

『ラモーの甥』

 生前には公表されなかつた奇書。写本を偶然に手にしたゲーテによつて日の目を見、ヘーゲルの弁証法萌芽にも大きな影響を与へた曰く付きの書だ。かの大作曲家ラモーの甥に当たる実在の人物をモデルにした対話篇小説なのだが、主題も展開も柱になるものがなく、哲学的な対話篇とは一線を画す。哲学者の私と音楽家崩れの太鼓持ち奇食道化者である彼との対話は、良識への飽くなき反駁の連続だ。彼は戯けと自虐を交へ乍ら私、即ち良識を茶化す。時にそれは舌鋒鋭く腐敗した旧体制下の価値観を揺さぶる。この書の醍醐味は諷刺だけではない。次第に彼は私を動揺させて行く。徳と幸福が一致しないと喝破する反道徳的な挑発は危ふき自己批判だ。『ラモーの甥』の真価は既成の良識の善をも打ち破り、来たる利己主義の予言と新しい価値観の模索にある。執筆されたのは百科全書が暗礁に乗り上げてゐた時期で、ディドロは己の破壊と再生をこの書で行ひ、力強く止揚してゐたのではないか。[☆☆☆]


"TRAITÉ DE PEINTURE"

『絵画論』

 ディドロの『絵画論』より前には、画匠らによる技法書や生涯と作品を絡めた画匠列伝などは存在したが、美学的観点で善い絵画とさうでない絵画とを論じたのは史上初で画期的であつた。サロン評を手掛け、画家との交流を深めて絵画の深淵に踏み込むやうになつたディドロが集大成として発表した書である。デッサン、色彩、明暗法、表情、構図と主題を区切り、観念的に美の考察をして行く手法は、現代においても絶大な影響を及ぼし続けてゐる。その意味では極めて重要な書であるが、取り扱ふ作品が時代の制約を受ける為、今日的な読者が得るものは少ない。大言壮語なリュベンスやアカデミーの硬化したマニエールを批判し、シャルダンの真価を見い出したディドロの美的直感は時代を先取りしてゐる。100年後に隆盛を極める自然主義・写実主義を提唱した近代絵画の預言者の書。[☆]


"MYSTIFICATION OU HISTOIRE DES PORTRAITS"

『肖像奇談』

 心理的な要因が人間の生理へ影響を及ぼすといふことを主題に展開する軽妙な対話篇。肖像画を取り戻す依頼を受けて練られた算段が、病気の原因を忌まわしい所有物―即ち肖像画に帰することであつた。現代の霊感商法にも似たやりとりとお粗末な落ちが洒脱だ。[☆☆]


"ENTRETIEN ENTRE D'ALEMBERT ET DIDEROT"

『ダランベールとディドロとの対談』

 対話篇の様式は止揚を基調とする哲学談話に相応しい。ディドロは生物学や生理学に取り分け関心を示した。食品が血肉となり死骸が土となる例へを用ゐて無機物と有機物の境界を取り払ひ、全てのものは連鎖してゐることを説く。デカルト以来の物心二元論を否定し唯物論を押し進めたディドロは、不可知論に逃げ込むダランベールを遣り込める。『ダランベールの夢』を準備すると共に、その序章を担ふ作品。[☆☆]


"LE RÊVE DE D'ALEMBERT"

『ダランベールの夢』

 ディドロに吹き込まれた唯物論の消化に悩まされるダランベールは悪夢にうなされ奇怪な寝言を口走る。曰く「生命とは一連の作用と反作用だ。生きてゐるときは、僕は塊をなして作用し反作用する。死ねば、無数の分子となつて作用し反作用する。」 それを聞いたレスピナッス嬢と医師ボルドゥーが交はす対話篇といふ手の込んだ作品。ボルドゥーがディドロの唯物論を代弁し、人間を医学的・生物学的見地で解剖し尽くして魂の存在を否定する。唯物論の応用は遂には観念にまで及ぶ。曰く「命題をもつと一般的なものに、言語活動をもつと敏速に、もつと便利にする、習慣的な黙説法や省略法があるだけです。言語活動の記号が抽象科学を生んだのです。」 人間は認識といふ行為の際、言葉を用ゐることで限界を設けて仕舞つてゐることを気付かせる深遠な作品。[☆☆☆]


"SUITE DE L'ENTRETIEN"

『対談の続き』

 上記2作品と合はせて3部作を成し、そのエピローグと云へる掌篇。レスピナッス嬢に乞はれて再来したボルドゥー博士が、性の問題を大胆に扱ひながら人間が動物に過ぎないことを説く問題作。だが、それ以上に詩を定義した件を看過してはならない。曰く「存在してゐるものに似せて存在しないものを作り出す術」。『夢』の言語論と併せ、ディドロの慧眼が光るアフォリズムだ。[☆☆]


"ENTRETIEN D'UN PHILOSPHE AVEC LA MARÉCHALE DE ***"

『或哲学者と×××元帥夫人との対談』

 無神論に到達したディドロによる底意地の悪い対話篇。刧罰への恐れから敬虔な素振りをする元帥夫人にさり気なく「人間が依然として無知で怖がりである間は」「人間は迷信なしですませること」が出来ないだけであることを悟らせ、信仰の基盤を揺るがす。しかし、ディドロにとつて重要なのは無神論ではなく、迷妄に陥らない覚醒した理性のあり方なのだ。結句の偽善者然とした台詞が傑作だ。[☆☆☆]


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