セルバンテス

(Miguel de Cervantes Saavedra、1547〜1616)

 下級貴族の家に生まれ育つた。レパントの海戦に参加し、目覚ましい武勲を挙げたが、負傷して左手の自由を失つた。以後「レパントの片手男」の異名をとる。退役して帰国する途中に拿捕されて、アルジェで5年間捕虜生活を送つた。この時の体験が『ドン=キホーテ』の中に反映されてゐる。帰国後は、小役人として生計を立て始めるが、落度により投獄されたこともあつた。晩年になつて『ドン=キホーテ』を出版し、贋作まで飛び交ふ大評判となつた。一躍国際的名声を得たものの、版権を譲渡してゐた為に収入は上がらず、貧困の中に亡くなつた。


『機知に富んだ郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』 "EL INGENIOSO HIDALGO DON QUIJOTE DE LA MANCHA"

 騎士道物語に心酔するあまり誇大妄想狂となつたドン=キホーテと従士サンチョの愉快な「冒険ごつこ」に抱腹絶倒。ところが、荒唐無稽な立ち回りとは釣り合はない思索的な台詞が潜んでゐて油断出来ない。理想を追ふことの尊さと難しさ、そして何よりもサンチョの感化を読みたい―最終章、失意の主人にかけた言葉の情愛は如何ばかりであらう。理想と現実、どちらが真理に近いのか、それが問題だ。後半はセルバンテス自身の捕虜体験を絡めた長大な挿話が中心となり、人生観、結婚観などが窺へ興味深い。[☆☆☆☆]

『後篇―機知に富んだ騎士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』 "SEGUNDA PARTE EL INGENIOSO CABALLERO DON QUIJOTE DE LA MANCHA" 

 後篇は文学史上でも他の追随を許さない独創的な作品となつてゐる。前篇が騎士道物語に対するパロディーであるならば、後篇は前篇に対するパロディーである。前篇が話題の読み物として登場するばかりでなく、実際に出回つた贋作をも作品の素材として咀嚼してゐる。複数の鏡の前に立たされた驚くべき作風であり、そのことがドン=キホーテとサンチョの新たな冒険をも変容させる。珍道中を書物で知つた人々が、ドン=キホーテ主従を愚弄するために彼らを本物の遍歴の騎士と従士として遇する。追ひ求めた理想が最早主従にとつて現実となつて現れる。その最高の例こそ、念願の「島」の領主となつたサンチョが名君振りを発揮する数章である。主人の感化を受けたサンチョが無邪気な賢人にまで変貌を遂げた姿を読者は決して忘れないだらう。そして騎士が今際の際に残した、「お前にまで狂人と思はれるやうな振舞ひをさせて本当にすまなかつた」と云ふ言葉を。全篇正気の内に理想を追ふことの貴さを示したと読めば、この作品は偉大な悲劇となる。[☆☆☆☆]


『模範小説集』 "NOVELAS EJEMPLARES"

 12の中篇小説よりなる。 模範と冠したことにセルバンテスの自負が窺へる。

『焼きもち焼きのエストラマドゥーラ人』 "EL CELOSO EXTREMEÑO"

 嫉妬深い老人が若い娘を妻にして囲ふが、誘惑の手から墨守出来なかつた話。禁じられるほど募る際限のない欲望と、心の隙間を縫つて忍び寄る誘惑が小気味好く描かれ間然するところがない。何よりも語り口の巧さが格別で、最後まで読者を惹き付ける名作。[☆☆☆]

『ガラスの学士』 "EL LICENCIADO VIDRIERA"

 学士の吐く機知に富んだ社会批評が作品の要で、セルバンテスの価値観が縦横無尽に跋扈してをり痛快だ。しかし、時代の制約を受けてをり、肝心となる物語としての面白みも後退してゐる為、現代に訴へ掛ける魅力は乏しい。[☆☆]

『麗しき皿洗ひ娘』 "LA ILUSTRE FREGONA"

 出生に秘密を持つ旅籠屋の看板娘を廻る起伏に富んだ名作。絶世の佳人に恋したドン・トマスもまた使用人に身をやつすといふ二重の認知の物語は常套的な手法だが、主筋の展開よりも脇を固める登場人物らの言動に生命を吹き込むセルバンテスの巧みさが際立つ。実際、悪友カリアーソこそが真の主人公で、作品の大半で愉快な冒険譚を披露して呉れる。これぞ模範的なノヴェルの傑作。[☆☆☆]


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