旧約聖書

"Tanakh"


「モーセ五書」 "Torah"

旧約聖書における最初の5つの書である『創世記』『出エジプト記』『レビ記』『民数記』『申命記』の総称で、トーラー(律法)とも呼称される。古来より預言者モーセの著作とされ、紀元前6世紀以前に成立してゐた。

『創世記』

 西洋文化を物心ともに支配した聖書の劈頭となる『創世記』は、信仰を離れて読めばヘブライ民族の叙事詩として位置付けられよう。そこに他の民族の叙事詩や神話との決定的な差異を見出すことは難しい。中世ローマ教会が縁のないヘブライの民族叙事詩を絶対的な世界観にまで昇華させたことは驚くべき不条理であつた。しかし、この書の非情なまでの宿命観と絶対的な神―不条理を唯一説明し因果律で人間を規律の下に置ける存在―が威容を放ち、人間の内面に語りかける啓示に充ちた言葉が、全世界の人々の心に深く浸透した。『創世記』は天地創造、アダムとカインの罪、ノアの方舟、バベルの塔といふ幾つかの伝承の混合から始まるが、やがてアブラハム、イサク、イスラエルと呼ばれたヤコブ、ヨセフと結ばれる系譜へと語り継がれる。この件における猜疑心に充ちた妬みと不寛容と復讐、そして目眩がする多重婚の連続は、禁欲的なキリスト教世界の倫理観とは折り合ひがつかない破天荒さだ。中では矢張り『出エジプト記』へと繋がるヨセフの試練が印象深い。[☆☆☆]

『出エジプト記』

 ヘブライの偉大なる指導者モーセとその兄アロンの受難。前半はパロ―エジプト王―からの執拗な迫害が描かれ、海を裂いての脱出劇で頂点を迎へる。だが、神の意図的な焦らしでモーセらの苦しみを長引かせ、途中突如としてモーセの命を奪ほうとする件は不条理の何物でもない。選ばれし者に対しても行はれる試練の苛烈さはヘブライの神の特徴と云へるだらう。後半は苦難の旅を続ける民の弱音が引き起こす偶像崇拝への危ふい誘惑が焦点となる。この後半部分の大半を占めるのが儀式の詳細で、厳格な律法主義を印象付けるが内容には乏しい。[☆☆]

『レビ記』

 『出エジプト記』の後半で説かれる厳格な律法の記述を継承するが、儀式の詳細な取り決めなどは形骸であり冗漫でしかない。一方で、神への絶対帰依、選民意識、厳しい倫理観を述べた箇所はユダヤ教の根幹を成すものとして重要だ。ハンムラビ法典の影響を受けたと考へられる「目には目」「歯には歯」の記述も見られる。[☆]

『民数記』

 エクソダス―エジプト脱出より約束の地カナンに到達する迄に40年の歳月が費やされた。この間にモーセを支へて来たアロンが死ぬ。過酷な難民生活に民の不満と不安が幾度となく爆発する。その都度、主なる神の怒りが下り、恐るべき粛正が行はれる。これは裏を読むと、難航する民族移動における犠牲を正当化する歴史の書き替へとも想像出来る。先住民ミデヤン人を殲滅する件に正義はない。[☆☆]

『申命記』

 モーセの大往生に先立つて律法が総括される。経典としての性格が前面に出た最も重要な書で、厳しい倫理観はユダヤ教の根幹を成す。荒野での40年を主なる神の与へ給ふた試練とし、人々の懶惰な性情を幾度となく戒めながら、御業によりヨルダン川まで到達したことが告げられる中、唯一絶対神への帰依が再三要求されると共に、背信による劫罰の警鐘が表裏一体となつて示される。最後のモーセの詔にも民族の堕落と主の怒りによる苦難が預言され、不気味に結ばれる。[☆☆☆]


『ヨシュア記』

 モーセの後継者ヨシュアに率ゐられた民は、葦の海で行つたモーセの奇蹟宛らにヨルダン川の流れを塞き止めて渡り、近隣諸部族に戦争を仕掛けて蹂躙する。主なる神に「強くあれ、雄々しくあれ」と命じられたヨシュアは厳格に従ひ、征服事業を展開する。その非情さには正義の片鱗もない。指導者ヨシュアの統率により来るべき王国の栄華が準備される。物語としては殺戮を免れた遊女ラハブと投降したヒビ人の狡智に面白みがあらう。[☆☆]

『士師記』

 強大になつたイスラエルの民はモーセの預言通り堕落と背信を繰り返すことになる。他部族の圧政を受けた後、主より命を受けた指導者が現はれて攻勢に出るが、統率者の死後に掌を返したやうに再び主に背いては民族の災難を招く。果ては堕落した一部族を粛正する内紛にまで発展し、浅ましくも劇的な民族叙事詩を展開する。中では特に、呪はれた誓願を立てたエフタとその娘の悲劇、デリラの奸計により神通力を失ふサムソンの悲劇は、有名であり読み応へがある。[☆☆☆]

『ルツ記』

 この短い挿話は来るべきダヴィデの登場を準備する物語である。寡婦のナオミに健気に寄り添ふモアブ人ルツのいぢらしさが殊勝だ。イスラエルに君臨する王の系譜を彩るのが心美しき異邦人であるのが象徴的だ。[☆☆]


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