芥川龍之介

(明治二十五年〜昭和二年、1892〜1927)


『羅生門』

 『今昔物語』に題材を採り、王朝物といふ初期芥川作品の地平を切り開いた記念碑的な名作。おどろおどろしい雰囲気が鬱屈とした世界を見事に表出させてゐる。生きる為に悪を許容するか否か。下人は必要悪に容易に染まることのない懐疑の人である。老婆の尤もらしい方便にエゴイズムを見出し喝破する下人は、「餓死をするか盗人になるか」を超え、世界の悪に対峙する決意をする。[☆☆☆]

『鼻』

 漱石が激賞し、芥川の出世作となつた名作。奇怪な出典にコンプレックスといふ精神分析の試みを展開し、滑稽さと哀れみまで抉り出す。化物のやうな鼻が短くなつたものの周囲の反応が気になり鬱になる僧。「他者とは地獄である」といふテーゼを意地悪く掘り下げた傑作だ。[☆☆☆]

『芋粥』

 一生涯うだつの上がらない男を愚弄する藤原利仁の悪ふざけが出典の要だが、芥川は社会の底辺で反抗も出来ず諂ふ男の哀れさを拡大し描く。降つて湧いた好機で願望が達成して仕舞ふのを惜しむ男の心理は出色だ。芋粥を目の前にした嫌悪感は欲望と幸福の真実を抉り出し、現代物質文明により麻痺した価値観に警鐘を鳴らす。[☆☆]

『或日の大石内蔵之助』

 赤穂浪士の討ち入りの主犯格である大石内蔵之助の事件後の心理を諧謔的に描く芥川の天晴な才覚。仇討ちを果たし、後は切腹の宣告を待つばかりの大石が心は己の義なるを密かに讃美することで落ち着いてゐる。しかし、江戸の町が忠臣擁護と義士の真似事に沸き返ることを聞くにつれ、くすぐられた自尊心が疼き出す。周囲の賞讃に乱された真摯な想ひが苛立ちを隠せず、必死に抵抗する大石の葛藤が人間の弱さを暴き立てる。歴史が語ることのない心理の深層を抉つた名作。[☆☆☆]

『薮の中』

 新技巧派と称された芥川の真骨頂を示す名作。表題は真相が謎に覆はれた際に用ひられる造語になつた。証言或は独白のみで織り成されるといふ多重構造を持ち、ひとつひとつ殺人事件が解明に向ふと思ひきや、当事者である三者の言に生じた食ひ違ひにより、恐ろしき闇の部分をもたげ始める。確かなことは誰ひとりとして真実を語つてゐないことだ。隠蔽ならまだしも、読めぬ他者の心理を憶測し、脚色を施して真相を歪めてゐる。探偵小説として読むのもよいが、男女の愛憎を絡めて想像を逞しくすると絶望的な様相を呈す。[☆☆☆☆]


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