カサルス・トリオ ディスコグラフィー  / Cortot-Thibaud-Casals Trio Discography


ディスコグラフィー | 寸評 | 推挙




 僅か5曲のピアノ三重奏曲の名曲を録音しただけのカサルス・トリオのディスコグラフィーを作製するのは確かに意味のないことだ。それは重々承知してゐるが、私の意図にはそれなりの理由がある。余りにも有名なカサルス・トリオは、ピアノをアルフレッド・コルトー、ヴァイオリンをジャック・ティボー、チェロをパウ・カサルスが担当する稀代の組み合はせであつた。
 実は、私が最も敬愛するピアニストはコルトーとシュナーベルとリパッティであり、ヴァイオリニストではティボーとエネスクとフーベルマンであり、チェリストではカサルスとフォイアマンなのだ。上記の演奏家たちのディスコグラフィーは何れ作りたいと思つてゐるのだが、各奏者のディスコグラフィーを作製する際に三重奏の記述は重複してしまふ訳で、その煩雑さを避ける為に共演の録音に関してはこの頁で先に扱つてしまほうといふのだ。
 この頁では有名な1920年代後半の三重奏の録音だけでなく、二重奏の録音も全て扱ふ。すなわちティボーあるいはカサルスにコルトーがピアノ伴奏を付けた録音の全てを扱ふ。




 この三重奏のリーダーは年長者のカサルスであり、その名を冠してカサルス・トリオと呼ぶのが通例だ。3者とも絶大な人気を誇り、カサルスに至つては「チェロの神様」と形容される第1人者であつた。ソロイストとしての名声が高い3者の邂逅は黄金のトリオとも呼ばれ、各自の個性が矯められることなく自由自在に発露された演奏は、不思議なほど融合感があり、まさしく奇蹟の三重奏であつた。弦楽四重奏が常設の団体でないと散漫になるのとは正反対に、ピアノ三重奏は名手の丁々発止が醍醐味である。3者が独奏者としての魅力を備へてゐるのは勿論のこと、その実力も均衡してゐなくてはならない。
 カサルス・トリオに匹敵出来るのは、百万ドル・トリオと称されたハイフェッツ/フォイアマン/ルービンシュタイン、殆ど録音がないが、ブッシュ兄弟とゼルキン、シゲティ/フルニエ/シュナーベル、シュナイダーハン/マイナルディ/フィッシャーくらゐだらうか。しかし、断言してしまふが、ティボー/カサルス/コルトーの藝術的な高みには大きく水をあけられてゐる。それは録音時、既に結成から20年の歳月を経てゐることもあり、年輪が桁違ひだからだ。

 この3者を繋ぐ言葉はパリである。カタルニア出身のカサルスの活動舞台が当時主にパリであつたことが幸ひし、3者の年齢が近いことでこの曲者揃ひのトリオが結成されたのだ。若き頃は意気投合してパリのカフェに繰り出した仲間たちは、断続的とはいへ、20年以上の活動を継続させた。演奏会の際には誰かのポケットに悪戯を仕込んだりなど愉快な逸話も多数残る。
 三重奏が録音されたのは1926年から1928年となるが、これは最も重要なことだと強調したい。丁寧に3者の録音を聴くと、3者それぞれが最も藝術的に絶頂期であつたのが解る。いや、正確に云ふとティボーは正に黄金期、カサルスは1925年頃を頂点に下り坂、コルトーは1930年頃を頂点とする上り坂である。従つてこれ以上早くても遅くてもいけない奇蹟的な時期に録音が残されてゐることを見落としてはならない。
 よく三重奏をカサルスが統率してゐると表現されるが、カサルスは全盛期を過ぎた時期で、この録音ではまさに花開くティボーとコルトーのエロスを秘めたヴァイオリンとピアノの素晴らしさが目立つ。練習好きのカサルスは一切練習をしないティボーやコルトーのテンペラメントに任せる演奏に羨望を抱いたことも多々あつたさうだ。結成から30年を数へる頃には共演上での齟齬が生じたのはやむを得ないとしても、世界情勢の悪化で3者の友情に亀裂が入つたことは誠に遺憾であつた。

 コルトー、ティボー、カサルスによる三重奏の記録は、稀代の名手たちが月日を掛けて熟成させた藝術と友情の結晶であり、最良の時期に録音された一期一会の藝術であつた。




History of Trio

 1906年に初共演後、顔触れを変へて演奏することもあつたが、1906年から1913年、第一次世界大戦後の1922年から1928年、1930年から1933年、と断続的に共演は続けられ、158回もの演奏会を開いた。多忙故に1933年を最後に3名が揃つての共演の機会は途絶えた。カサルスの祖国スペインでフランコ政権が樹立されると、カサルスは亡命し国境近くのプラドに隠棲したが、追ひ打ちをかけるやうにフランコ政権を支持したナチス・ドイツが第2次世界大戦時にフランスに進行した際、コルトーがナチスに迎合したため、カサルスとコルトーは絶縁した。チェロに若きフルニエを加へてトリオは続けられたが、ドイツでの演奏を拒否したティボーとコルトーの関係も冷えた。戦後、1958年のプラド音楽祭にてカサルスとコルトーが和解の共演を果たし、老いて尚お互ひの健闘を讃へ合つたことは大書してをきたい。

  以下に活動の歴史としてトリオの全演目と演奏回数の詳細な記録を載せよう。これは英EMIによる復刻CDのブックレットにあるものを転載したものだが、このCDを所持してゐない方は容易には知れないものだらうから広く公開したいと思ふ。


Beethoven

1

Trio Es-dur,Op.1-1 Brahms

3

Trio c-moll,Op.101 Mozart

1

Trio E-dur,K.542

1

Trio G-dur,Op.1-2

1

Quintet f-moll,Op.34 Rameau

1

L'Indiscrète

2

Trio c-moll,Op.1-3 Corelli

1

Trio B-dur,Op.1-1 Ravel

4

Trio a-moll

1

Trio B-dur,Op.11 Dvorak

1

Trio e-moll,Op.90 "Dumky" Saint-Saëns

3

Trio F-dur,Op.18

9

Trio D-dur,Op.70-1 Fauré

2

Trio d-moll,Op.120

1

Trio e-moll,Op.92

10

Trio Es-dur,Op.70-2 Franck

5

Trio fis-moll,Op.1-1 Schubert

49

Trio B-dur,D.898

22

Trio B-dur,Op.97"Erzherzog"

1

Quintet f-moll Schumann

37

Trio d-moll,Op.63

3

14 Variationen uber ein Original-Thema Es-dur,Op.40 Haydn

38

Trio G-dur,Op.73-2

5

Trio F-dur,Op.80

2

10 Variationen uber das Thema "Ich bin der Schneider Kakadu",g-moll,Op.121 Mendelssohn

13

Trio d-moll,Op.49

18

Trio g-moll,Op.110

1

Trio Es-dur,Op.38

5

Trio c-moll,Op.66  

1

Allegretto from Trio B-dur,Op.154 Moór

2

Trio c-moll,Op.81

7

Triple Concerto C-dur,Op.54

2

Triple Concerto d-moll,Op.70

 最も演奏回数が多いのがシューベルトの変ロ長調であり、49回と群を抜いてゐる。そして、ヘ短調曲が1回も演奏されてゐない。何か特別な理由があるのだらうか。次いでハイドンとシューマンの第1番が並ぶ。数多いハイドンの曲で「ハンガリー風」と異名を持つこの曲だけを偏愛したのは注目すべきだ。次がベートーヴェンの「大公」、シューマンの第3番、メンデルスゾーンの第1番、ベートーヴェンの第6番、第5番「幽霊」と続く。即ち演奏回数が多い曲が録音された訳で、演目は3者の好みが一致する作曲家ばかりである。カサルスが好んだブラームス、ティボーが愛したモーツァルトは、仲間の共感を勝ち得なかつたと想像される。また、3者が特別な想ひを寄せたフランクのトリオの録音がないのが残念だ。ラヴェルにも興味をそそられる。協奏曲の録音はブラームスの二重協奏曲ではなく、レペルトワールであつたベートーヴェンの三重協奏曲であつたならば、より素晴らしかつたであらうと思はれる。


3名が楽器を取り替へての冗談写真。ティボーのふざけっぷりが痛快。



Discography

1 1923/10/22 HMV Franck Sonata for Violin and Piano A-dur 1 Jacques Thibaud (vn)/ Alfred Cortot (p)
2 1926/7/5-6 HMV Schubert Trio for Piano,Violin and Violoncello No.1,B-dur,D.898   Jacques Thibaud (vn)/ Pablo Casals (vc)/ Alfred Cortot (p)
3 1926/7/6 HMV Beethoven Adagio, 10 Variationen and Rondo for Piano,Violin and Violoncello,G-dur,Op.121a, on "ich bin derSchneider Kakadu" from "Die Schwestern von Prag"   Jacques Thibaud (vn)/ Pablo Casals (vc)/ Alfred Cortot (p)
4 1927/6/20 HMV Haydn Trio for Piano,Violin and Violoncello,G-dur,Op.73-2   Jacques Thibaud (vn)/ Pablo Casals (vc)/ Alfred Cortot (p)
5 1927/6/20-21 HMV Mendelssohn Trio for Piano,Violin and Violoncello No.1,d-moll,Op.49   Jacques Thibaud (vn)/ Pablo Casals (vc)/ Alfred Cortot (p)
6 1927/6/23 HMV Fauré Sonata for Violin and Piano A-dur,Op.13   Jacques Thibaud (vn)/ Alfred Cortot (p)
7 1927/6/24 HMV Beethoven 7 Variations for Violoncello and Piano,Es-dur,WoO.46,on"Bei Männern, welche Liebe fühlen"from "Zauberflöte" 1 Pablo Casals (vc)/ Alfred Cortot (p)
8 1928/11/15-18&12/3 HMV Schumann Trio for Piano,Violin and Violoncello No.1,d-moll,Op.63   Jacques Thibaud (vn)/ Pablo Casals (vc)/ Alfred Cortot (p)
9 1928/11/18-19&12/3 HMV Beethoven Trio for Piano,Violin and Violoncello No.7,B-dur,Op.97 "Erzherzog"   Jacques Thibaud (vn)/ Pablo Casals (vc)/ Alfred Cortot (p)
10 1929/5/10-11 HMV Brahms Double Concerto for Violin,Violoncello and Orchestra,a-moll,Op.102   Jacques Thibaud (vn)/ Pablo Casals (vc)/ Orquesta Pau Casals,Barcelona / Alfred Cortot (cond.)
11 1929/5/27-28 HMV Beethoven Sonata for Violin and Piano No.9 A-dur,0p.47 "Kreutzer"   Jacques Thibaud (vn)/ Alfred Cortot (p)
12 1929/5/28 HMV Franck Sonata for Violin and Piano A-dur 2 Jacques Thibaud (vn)/ Alfred Cortot (p)
13 1929/6/7 HMV Debussy Sonata for Violin and Piano g-moll   Jacques Thibaud (vn)/ Alfred Cortot (p)
14 1929/6/7 HMV Debussy Minstrels from Préludes,Livre1 (arr.Hartmann)   Jacques Thibaud (vn)/ Alfred Cortot (p)
15 1931/7/1-2 HMV Chausson Concerto for Violin,Piano and String Quartet,D-dur,Op.21   Jacques Thibaud (vn)/ Alfred Cortot (p)/ String Quartet [ Isnard / Voulfman / Blanpain / Eisenberg ]
16 1931/7/2 HMV Fauré Berceuse,Op.16   Jacques Thibaud (vn)/ Alfred Cortot (p)
17 1932/5/16-18 HMV J.S.Bach Brandenburg Concertos No.5 D-dur,BWV.1050   Jacques Thibaud (vn)/ Alfred Cortot (p)/ Roger Corte (fl)/ Orchestre de I'École Normale de Musique,Paris
18 1958/7/10 Live in Prades Beethoven 7 Variations for Violoncello and Piano,Es-dur,WoO.46,on "Bei Männern, welche Liebe fühlen" from "Zauberflöte" 2 Pablo Casals (vc)/ Alfred Cortot (p)
19 Sonata for Violoncello and Piano No.3 A-dur,0p.69  

私淑するフォレと


 三重奏の録音から筆を起こさう。最初に録音されたのは、カサルス・トリオが最も多く演奏したシューベルトで、その出来映えたるや神品と形容したい。第1楽章第2主題の現実離れした憧れの歌は胸が苦しくなるほど美しい。再現時で加はる装飾の彩なす官能は更に絶品だ。第2楽章は録音藝術が残した最高の奇蹟だ。冒頭のカサルスの切ない歌を数あるトリオの演奏と比べてみるとよい。全盛期のカサルスが達した境地に陶然となる筈だ。中間部でコルトーが掻き口説く木目の細かい感傷は比類がない。再現部ではティボーが妙なる霊感を聴かせる。主題も素晴らしいが、主役がカサルスに移つてからのオブリガードで聴かせる妖しいエロスの表出には悶絶しさうになる。カカドゥ変奏曲は如何なる訳か録音状態が芳しくない。この曲最高の名盤であることは保証するが、カサルス・トリオの遺産では取り立てて感銘深い録音ではない。ハイドンの三重奏曲はこの録音があれば他は要らない決定的名盤と断言しよう。典雅な3者の藝術がこれほど端的に聴ける曲もあるまい。特にティボーの高雅な音色が全曲の格調高さを貫いてゐる。奥床しいカサルスの通奏音、優美なコルトーの語り口、全てが高貴だ。メンデルスゾーンはコルトーが得意とした作曲家であり、第2楽章冒頭で聴かせる躊躇ひ勝ちな告白はコルトーの独擅場だ。官能を感傷的に振りまくティボーにも相性が良い。何よりもカサルスの憂ひを帯びた抒情的な歌が美しく、最高の出来映えを聴かせて呉れる。第4楽章中間部における颯爽たるカサルスの歌は感動的だ。シューマンはトリオの中心的なレペルトワールであつた。コルトーが切り札とした作曲家であり、カサルスにとつても重要な作曲家である。そして、ティボーのテンペラメントが共感を見出した作曲家なのだ。他のトリオとの差がこれほど歴然と現れた曲も少ない。感情が脈々と鼓動する演奏は格が違ふ。特にティボーの情熱的な演奏が感銘深い。第3楽章の尋常ならざる幻想を聴けば比類する演奏のないことがわかるだらう。そして、晴れやかな第4楽章がこれほど歓喜に包まれて聴こえたこともない。「大公」トリオは三重奏録音の締めとなる見事な演奏だ。冒頭のコルトーの若やいだタッチから他のピアニストとは一線を画す。伸びやかなカサルスの歌、恥じらいまで感じさせるティボーの表現、全てが極上と云へる。威勢の良いだけの演奏とは異なる上品な佇まいはカサルス・トリオの藝術性を示す。殊更第3楽章の瞑想は幻想味を帯びてゐる。弱音における表情の繊細さこそカサルス・トリオの藝術の奥義なのだ。

 3者の共演では他にブラームスの二重協奏曲が残る。この頃既に指揮者として活動の地歩を固めてゐたカサルスのオーケストラをコルトーが振つたといふ面白みがある。コルトーは「神々の黄昏」のフランス初演を行つた業績があるだけに指揮振りが大変興味深い。極めて情熱的な指揮だが、オーケストラの技量が水準以下で、著しく感興が殺がれる。独奏と管弦楽とが渾然一体となつた演奏であることがこの曲には必須だ。独奏では、ブラームスへの傾倒振りが窺はれるカサルスの情緒豊かな表現が素晴らしい。ティボーは燃え上がる情熱を散らしてをり、演奏の求心力を握つてゐる。しかし、両者の音楽は方向性が異なり散漫な印象が拭へない。往々にして名手を取り合はせた録音に名演がない曲であり、この録音も例外ではない。

 ティボーとコルトーほどの第1級の名手が均衡して二重奏を続けた事例は古今を通じても比類がない。最も素晴らしいのがフォレで、ティボーのいぢらしい繊細な表現が隅々まで行き届いてをり、コルトーも劇的な面を抑制し、抒情的な音楽を奏でてゐる。第3楽章トリオの可憐な哀感には殊に胸打たれる。名演は他にもあれど、若草のやうな馥郁たる香りを漂はせた淡い詩情は特別で、奥床しい嗜みこそがフォレのエスプリであることを教へて呉れる唯一無二の決定的名演。フランクは数多ある録音の中で揺るぎのない名盤としてあり続けてゐる。第1楽章冒頭のティボーの儚さは如何ばかりであらう。弱さと云つてもよい。ティボーのたゆたふ詩情を聴いた者は、美音を尽くした豪奢な演奏が空しくなるに違ひない。第2楽章コーダ前や第3楽章で聴かれるパルラント・アーティキュレーションはティボーだけの妙技だ。恍惚とした憧憬を奏でるコルトーのピアノも溢れ出る幻想が桁違ひである。第4楽章で前楽章の回想をするパッセージの直前に聴かせたコルトーの激情は圧巻で、楽譜にないスビトピアノの読みは流石だ。フランクには記念すべき最初のデュオ録音である旧盤があるが、機械吹き込みなので遜色があり、最後の和音を2オクターヴ上げて鳴らすのも感心出来ない。ドビュッシーも決定的な名盤である。極めて難解な楽曲であり、殆どの演奏が楽譜の再現以上をしてゐるとは思へないが、ティボーの噎せ返るやうなエロスを発散させた演奏は尋常ではない。ポルタメントの官能的な用ゐ方は絶品で、コルトーも自在な演奏をしてをり、この曲が初めて生の息吹きをしたかのやうだ。ミンストレルも洒脱だ。ベートーヴェンはSP期において代表的な名盤として賞賛され、激烈なフーベルマンとフリードマンの名盤とは対極的に雅で粋な演奏として評価を与へられてきた。典雅なフランス風の演奏なので、極めつけの名盤とするのは憚られるが、張詰めた感情と優美さが交錯する第2楽章の変奏曲の美しさは現在でも最高であらう。ショーソンのコンセールはベル・エポックの薫りを伝へる極上の名演。コルトーの香り高いピアノも見事だが、何よりもティボーの音色が熟覧の極みに達してをり、抗し難い魔力を放つ。第1楽章で最初に独奏ヴァイオリンが現はれる箇所のえも云はれぬエロスには魂が抜かれる想ひがする。同指でかけるポルタメントの用ゐ方が官能的で、音楽の持つリビドーにこれほど精通した奏者もゐまい。第2楽章コーダの儚い官能の残り香も絶品で、パルラント・アーティキュレーションの妙技が随所に聴かれる決定的名盤。フォレの子守唄におけるティボーの囁くやうな音色の奥床しさも絶品だ。バッハのブランデンブルク協奏曲第5番は、謹厳なブッシュたちによる正統的な解釈とは異なる典雅かつ瀟酒な演奏で新鮮だ。第1楽章カデンツァでのコルトーの華麗な舞踏の晴れやかさが極上だ。

 カサルスとコルトーの共演による正規録音は変奏曲1曲しかない。全盛期のカサルスの柔軟なボウイングが聴ける名演で、表情豊かなコルトーも素晴らしく、短調部分における深みのある歌は見事だ。さて、カサルスとコルトーとの合奏は古来SP録音の変奏曲1曲のみといふのが通念であつたが、政治的理由で決別後、和解の記しとして行はれた共演の記録が発売されたことは驚天動地の出来事であつた。再録音となる変奏曲は部分的には旧盤を凌ぐ箇所もあるが、技巧的には明らかに衰へてをり、過大な評価は控へたい。ソナタでは矍鑠たるカサルスが衰へるどころか覇気が漲つてをり素晴らしい。コルトーは活力に乏しく、第3楽章では調を間違へて落ちてしまふが、時に見せる幻想の凄みは流石だ。特に第1楽章展開部からの狂気すら感じさせる浪漫の発露は尋常ではない。コルトーの常軌を逸したファンタジーには身震ひする。アンサンブルは乱れ、技巧しくじりも随所にあるが、忘れ難い演奏である。



 カサルス・トリオの全録音は議論の余地のない高みにあり、他の演奏を持ち上げる必要がないと断じよう。カカドゥ変奏曲は留保して、5曲のピアノ三重奏曲は絶対である。1曲捨てるなら全部捨てた方が良い。録音の古さを云々する方は別として、これらの曲を愛する人なら看過することは許されない類ひのものだ。二重協奏曲の録音は推挙しない。カサルスとコルトーの二重奏は残念ながら最上とは云ひ難い。ティボーとコルトーによる演奏ではフランス近代曲が全て良い。すなわちフランク、フォレ、ドビュッシーのソナタと小品の全て、そしてショーソンのコンセールである。これらを聴かずにフランス音楽の何たるかを語ることは難しい。




 カサルス・トリオの録音は本家EMIBiddulphなどから復刻があり、最近はNaxos Historicalからも発売されてゐるので、全て容易に入手出来る。ティボーとコルトーの二重奏はEMIのコルトー全録音集で揃ふ。カサルスとコルトーの二重奏だが、HMV録音はEMIのカサルス全録音集で揃ふ。最後の共演はMusic&Artsから出てゐるプラド音楽祭録音集第1巻13枚組のみに含まれる。



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